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子どもが家にいる

これから良くなっていきそうなこと可能性が開かれたこと見直されること、大変なことしんどいこと、両方あると思うけれど、家で仕事をする環境に子どもがいることについての解決策が見えにくい。

オンラインのあれこれが可能にするリモートワークは働き方を自由にしていって、それは基本的にとっても良いことだと思うのだけど、家に子どもがいるとなると、そこがまたこんがらがる感じがする。

リモートワークが可能な仕事は、それをやっている親の背中をみて、子どもが何か学ぶことが難しくないですか。

作家や職人の幼少期の話で、親の仕事場にいっていたという話をよく聞く。それで、働く大人の姿に感じるところがあったとか、木に馴染みを持ったとか、大工仕事をずっとみていたから家がつくれるんですみたいな人までいたりする。そういう職住近接から子どもが学ぶことは大きそう。何も教えなくても、一緒にいるだけでいいんだと思う。見ているだけ、といっても視覚情報だけではなく、その場の雰囲気、匂い、親が向き合っているものやそのときの態度、そういう全体から身体に入ってくるものが多大にありそう。

それが、リモートワークできる仕事だと、基本的にはパソコンに向き合っている、ということになって、子どもからすると何をやっているのかよくわからないんじゃないか。高校生、大学生くらいになれば、できあがったもの、アウトプットとの関連性から学び取るものはありそうだけど、小さいうちは、パソコン楽しそう、わたしも使いたい、動画見たい、となりがちな気がする。

フリーランスで文章を書くとか企画とかはもとから作業的にはリモートでやるもので、仕事のスタイル自体が大きく変わった感じはない。制限が増えたとか延期になったとか影響はあるけど、スタイルの変化は少ない。オンライン取材が解禁になったのは、新しくできることが増えて、良さもたくさんあるけど、会ったことがない人や行ったことがない場所について、オンライン取材だけでやるのは、できなくはないけど良くはない。情報量が圧倒的に少ない。

地方に住んでいることもあって、打ち合わせはもとからかなりオンラインで行われていて、クライアントの担当者と一度も会わずに仕事が完結することもあった、それでもできる。結婚当初は別居婚だったから、リモート新婚生活で、オンラインで夕飯を食べたりもしていた。でもそういうのは、これまで得てきた経験値の貯金を切り崩している感じがする。断片的な情報を、身体に蓄積しているものでなんとか補っている。そこで逆に努力したり、懸命に読み取ろうとすることで得られるもの、良さもあるけれども。文章を書くことも、やっぱり、身体の経験がないとできない。

そうしてなんとか形にしようとしているときに頭の中を中心に起きていることは自分ではすごく面白い。そこで得ているものは大きいし、またわたしの身体に反映していくことでもある。ただ子どもから見たら、ずっとパソコン抱えてる人なのだよね。

今は仕事状況、描いたり切ったり貼ったりデスクワークも好きな子どもの性質、密にならず過ごせる外の場所がたくさんあること、季節、非日常感とか、いろんな要素が重なってなんとかなってるけど、これが日常的に繰り返されるなら、それはとても不安だし、何か考えないといけない。

ひとつは、家事は遊びになると思ってたけど、もっと積極的に、家事と子どもと接する時間を兼ねさせて、そこを充実させるように意識しながら、別々に過ごす時間も確保するのかな。今はかまえない、無理ですってことを理解してもらう時間もつくる。音声入力をする。あとは家事や畑仕事の生活における比重を増やすとか、一緒にできる仕事をつくるとか。今はそういう友達は近所にいないけど、半日ずつ子どもを預かり合うとか。あと1〜2年のうちにはできるようになる気がする。それからシッターサービス。まあ、色々あるか。



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