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キミへの愛に重版はないよ、ずっと初版のままでいよう

挫・人間の”恋の奴隷”の「辛いなら連れてくよブロードウェイ」と筋肉少女帯の”香菜、頭をよくしてあげよう”の「香菜、明日君を名画座に連れて行こう」に含まれた独りよがりで不器用な愛にぼくは思わず唸り声を上げた。
ぼくは好きなコにぼくが愛読する宮崎夏次系の、重版が出ておらず古本でしか購入出来ない漫画を、そのコの誕生日に、それはそれはもう心を込めた梱包を施し、プレゼントしたのだ。

___ぼくにあげられるものは、これくらいしかないから。


これらの愛は、キモーターによる”好きなコに自分を認められたいが故に唯一の手札である己の趣味や思想を押し付け勝手に満足する為の気持ちの悪い自己愛”でしかなく、ズバリ「おれ、君の知らない世界、魅せてやれンだゼ♪」オナニーである。
オタクは何故か皆、自分を”博識で独自のセンスを持ったナイスガイ”であると他人の作品を介して勘違いしてしまうのだ…
そんな、目も当てられぬほど終わっているキモーターの恋愛像をこれ程までに的確に表す音楽が、この2曲以外にあろうか。否、言葉以上に唯一無二である表現法と言っても過言ではないだろう。





いやぁ、ボク、挫・人間というか。下川リヲの事が大好きなんですよ。ええ、はい……
彼の音楽は言わずもがな、言葉や人生を愛しているんです。
挫・人間とぼくの出会い、高校1年生の人生で1番スレてた時期だったんですけれども。…


当時、ビンビンに片想いをしながら新生活早々ズッコケまくってクラスメイトにお情けで話しかけられるも何ヶ月経ってもぼくではない誰かの名前で呼ばれるような、座る席なくて廊下でイヤホンして音楽聴いてるだけで他クラスの人間から笑われるような、そんなボッチまっしぐらで同級生からの視線も痛く、心の全身複雑骨折を負っていたぼくは、Twitterで活動するとある絵師様が”ゲームボーイズメモリー”のMVをツイートしていたのを、サムネのパンチ力から無意識のうちにURLをタップしていた。
新鮮で、かつ、何処か懐かしみをおぼえるようなセンチメンタルな雰囲気に今にも心が壊れそうだったぼくは、その映像に惹き込まれていき、それからは毎日のように夢中で再生しまくっていた。

秋葉原でメイドのパンチラに期待し自転車の運転が乱れる下川リヲ、
学校へ駆け出す小学生とは裏腹に暗い顔をして公園で向精神薬を苦い顔をしながら口に放り込むアベマコト、
遊び帰りであろう子供を横目に、草臥れた様子で電車の座席へ深く腰掛け黄昏れる夏目創太。
最後は、昼間に公園でゲーム機を持ち寄り遊ぶ子供達に対比するように挫・人間が赤い縄で亀甲縛りされお姉様方に鞭打たれ、ビクンビクンと打ち上げられた魚のように躰を情けなく震わせる映像が交互に流れ、物語は幕を閉じる。
その時のぼくにとって、最も残酷な映像だった。心を抉られるようで、また、ぼくと固く抱き合い、励まし合う友達になってくれるような音楽だった。


「大人になったこのぼくにもし願いが叶うなら あの子がきっと忘れないサヨナラがしたい 届きませんように」……
将来を誓い合う仲になれないのであれば、いっその事、あの子にとっての消えない傷になれたら。
重症化した下川リヲの”あの子”へ向けた愛のグロテスクさに息を飲んだ。

ぼくと、おなじだ。

彼が歌で願うように、彼の音楽には「グミチョコを読んでいた己の青春時代を同じような青春を送った誰かへ送り届け、自分ごとソイツらを救う」力があった。
下川リヲが音楽で自分を肯定する事により、ぼくたちを肯定した。ぼくたちを肯定する事により、自分を肯定した。
もう、なんつーか、下川リヲチョーカッコイイ………
ぼくは、そんな下川リヲの願いを受け取り、見事クソッタレな青春を自分自身が認め、抱き締めてあげる事に成功したのだ。
そのおかげで、現在のぼくは根暗なのを開き直った荒くれ陰キャオタクへ成長(変貌?後退?)を遂げた。そんなぼくは挫・人間のライブで精神解放し暴れまくり、次の日はヘドバンのし過ぎで首を痛める。
会場にはぼくのハンドルネームを覚えていてくれている挫・人間のファン(通称隅っこ)が居てくれる。ここに、ぼくの名前を間違える人間は誰一人としていない。それがどんなに嬉しかったか、凄い事なのか。そんな気持ちがいつか下川リヲ本人に伝わるといいなあと願うばかりだ。



そんなこんなで第二の青春を挫・人間のライブへ隅っことして参戦する事により享受したぼくは、居場所が出来たからといって環境や生活、考えがいい方向へ大きく変わる訳でもなく、何故かより拗らせた身体だけ大きくなった子供になってしまったわけなのだが…
申し遅れましたが私、恋愛観、過去や他人への異常な執着心、自尊心、童貞ばかり拗らせていき、思春期の延長戦を性懲りなく続けるとんでもなくグロい青春依存を抱えたモンスターをやっている者です。暗そうなヤツらは大体友達!


そんなぼくは、きっと、ずっと挫・人間を希望の光とし、死ぬまで彼らのファンを続けるだろう。
例えメンバーが脱退しまくりバンドという形が消えたとしても、ぼくはずっと、ずっと、挫・人間のファンであり、信者だ。

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