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コロナ禍で失ってしまった雑談の効用


リモートでの集まりで、
私にとってのデメリットは
隣の人と雑談できないこと、だ。
休憩時間に雑談できないこと、だ。
リアルな職場でも、
食事は黙食、
会議はかなり離れてすわる。
よく会話する職種もあるが、
そうでない職種もある。
本日は、
医師と病棟で、
「雑談」をする。
回復期と
急性期の
ナースの視点の違いを
お互いで発見しながら、
みんな一生懸命だけど、
気づきがあるか、ってところなんだよね、自分を含めて、
という話になった。
患者の安全を管理する、という視点。
患者に環境を提供する、という視点。
医療者視点ではないのか。
そもそも、
患者がどう考えているか
何を欲しているかを、
知ることが大前提、ときづけるかどうか。
ここだ。と、腑に落ちる。
当たり前のことでしょ?
と言い切れる人は、
相当、満足度の高い職場にいるんだろうと思う。
オランダのビュートゾルフの訪問看護の仕組みを、訳あって日曜の早朝から大切な人に解説したのだが、
そこでも、
訪問時に算定する時間は、訪問時間の半分。
他の事業所が、
あくせくと、
分刻みで算定に血眼になっている時間に、お茶を飲んで、患者と雑談をする。
その中で、患者の嗜好をしり
人生を知り、見落としてはいけないことを見抜く。
なので、入院になったとしても
他事業所より早く退院できる患者にする。
そこの理念は
ナースたちが、自分たちが必要とされないことを目指して
自立させようとする。
ビュートゾルフがもたらしたものは、
かなりの医療費削減と
看護師の定着率と
新しい組織の誕生。
その中でも素晴らしい功績は
ナースの職能と人生を守ったことなんじゃないか。
そしてそれらは、患者のために尽くしているという根本の職能欲求を満たした。
とまあ、
皆さんもよくご存知であろうことを長々。
さて、
雑談は、本当に宝。
組織が同業他社より生き残れるのは、
やはり、
存在価値がどれだけあるか、なんだろう。
分刻みの組み立ては、起爆剤になるが、本質を見失う。
そういえば
以前勤めていた病院も救急搬送されたらまもなく担当ケアマネから連絡が入る。
病棟ナースに問い合わせても
まだ病室で話を聞けていない。
辿り着けないんです。
〜承諾書
〜説明書
〜計画書、、、、
色々作って色々サインをもらわなければなりません。
やることが、診療報酬の加算の壁の前に
多すぎるのです。
そして、ある時
私は救急入院の場合、
病棟でご家族や本人から状況をナースより先に伺うことで、
院内院外を繋ぐことにしました。
雑談をする余裕なんてない現場で
ナースの職能をどう発揮させるのか。
、、、小難しいことは置いといて、
やっぱり気兼ねなく、
ところでね、と言える環境に、
なれたら良いなとおもうのです。
文献を読みながら夜はふける。

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