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場所、モノ、人との対話を通して世界を繋ぐ美術家 山村幸則さんを訪ねて

●はじめに
 筆者が美術家の山村幸則さんと出会ったのは今年8月。前回取材したガラス作家の吉田延泰さんのアトリエを訪ねたことがきっかけでした。人との出会い。それは同時代を生きる私たちが生まれながらに与えられている最高のギフトです。今を一緒に生きているということ。今日は山村幸則さんの美術の魅力と、現在制作されている丹波篠山の甕(かめ)を使った表現の現場をご紹介します。

コの星の音
素材:古丹波 甕 七基
   (安土桃山~江戸時代)
   丹波古陶館 収蔵作品
   鈴虫・虫籠
制作年:2020年
協力:丹波古陶館

丹波篠山まちなみアートフェスティバル

その土地の歴史、文化、人々との絆から紡ぎ出す独自の表現

 9月13日。ここは丹波篠山の古陶館です。向かいにたたずむ鳳凰会館を覗くと、大きな甕を磨く山村さんの姿が ありました。同月 19 日から 27 日に開催された丹波篠山まちなみアートフェスティバルに向けて、いよいよ制作 が始まりました。

丹波古陶館は、江戸時代そのままの姿で妻入りの商家が立ち並ぶ河原町の一角にあります。館内には、丹波焼の創成期から江戸時代末期に至るまでの約700年間に 作られた代表的な品々を、年代・形・釉薬・装飾等に分類して展示しています。また、館蔵品のうち312点が「古丹波コレクション」として兵庫県指定文化財となっています。

「今回は7つの甕(かめ)を拝借して表現したいと思っています。安土桃山から江戸という長い時を刻んできた貴重な古陶館の甕を拝借して表現出来るだなんて本当に夢のようです。」

まさに夢が叶おうとしている瞬間に喜びを噛みしめ、生き生きと語る山村さん。

柳宗悦によって美を見出され、収蔵された素晴らしい古陶の数々。「自分の知らない時を超えて今ここに在るということに、とてつもない魅力を感じるのです。」と山村さんは言います。

柳 宗悦は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。名前はしばしば「そうえつ」と読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される。
              (ウィキペディア)

 当時は穀物や水などを貯蔵する目的で作られた甕ですが、山村さんによって新たな意味を見出されたようです。甕から放たれる自然釉の輝きは〝人は自然の裡(うち)に、自然は人の裡(うち)に生きる〟ことの必要性を思い出させてくれます。

「どうしてこんなことをさせて頂けるのだろう。まさに奇跡の連続で僕はここにいるのです。」

自分自身の制作を時に〝かりものの表現〟と語る山村さん。その言葉に秘められたストーリーにもう少し迫ってみることにしましょう。

【写真:古陶館の向かいにたたずむ鳳凰会館に甕を搬入する山村幸則さんと古陶館学芸員の中西遼さん】
大学時代は陶芸を専攻していた山村さん。焼き物本来の美しさやその歴史に触れ、ふんだんに土との対話を重ねてきた山村さんにとって、丹波篠山は特別な地となっていきました。中でも丹波古陶館3代目館長の中西薫さんとの出会いは山村さんが新たな表現を探るきっかけとなりました。古丹波についてのお話に魅了された山村さんに芽生えた想い。それは、 古丹波の甕を拝借し過去の陶工と交わる機会を表現に繋げたいという願いでした

「地域の歴史や文化に触発され、そこに暮らす方々のお力添えを頂き、今しか出来ないこと、 今だから出来ることを実現させて頂きたいのです。」

山村さんの想いを受けとられた中西さんのご好意によりこの制作が実現したのでした。

【写真:古陶館3代目館長の中西薫さんと山村幸則さん】

命をつなぐ甕 命の音

古陶館に所蔵されている甕が普段とは違う角度で置かれていることに「あれ?」と驚く人。通常、縦に置かれている甕が寝かして置かれていることに違和感を感じたり、驚かれる人々。桃山から江戸という長い年月を超えて現在、鑑賞する人によって新たな価値が見出されていきます。
今回、山村さんは作品にもう一つのメッセージを込めました。

「この土地の空気や自然の音を作品に取り入れたいのです。」

山村さんが取り入れた音。それはなんと鈴虫です。この日のために約3か月間飼育した鈴虫を、手作りの竹の虫籠に入れ甕の中で音を奏でる、という仕掛けです。山村さんがこのインスピレーションを得たのは地元、丹波篠山、春日神社の能舞台でした。舞台の床下で甕が音響の役割を果たしていることに衝撃を受けました。

【写真:春日神社の能舞台の床下。音響の役割を果たす甕】
命の音について山村さんはこのように語ります。

「鈴虫はか弱くて小さな昆虫です。だけど小さな羽根をふるわせて一生懸命に鳴く。透きとおるような鈴の音を奏でてくれるんです。確か、鈴の音には悪霊退散とか、厄払いの意味もあったかと思います。雑音だらけの生活の中で、こんなに健気に生きている小さな命の音に気づけたらなんだかホッとします。鑑賞する人が会場に入った瞬間、〝そこに命がある〟って感じて頂けたとしたら嬉しいです。」

【写真:虫籠の中で音を奏でる鈴虫】

【写真:神戸新聞(2020年9月18日)24面】

同時代を生きる
「現在という時代を一緒に生きている人たちがそれを共有できたらいいな。」

日本にとどまらず、世界中にアートの橋を掛けてきた山村さん。最後に日々の制作への想いを伺いました。(以下、作家のリアリティな声を届けるといいう趣旨の元インタビュー記事とさせていただきます。)

◆ Artist interview ◆

 美術家 山村幸則さん

銀杏男 / Ginkgo Man
2006年 大阪 日本
撮影:大野博

聞き手 米光智恵(大人の図工塾管理人)
Text by Chie Yonemitsu
Photo by Yukinori Yamamura
参考文献 from hand to hand
Yukinori Yamamura Works

米光「海外でも様々な素材を使って制作されていますね。どういったきっかけでこの制作スタイルに出会われたのでしょうか。」
山村「はい。私はもともと大学で陶芸を専攻していまして、その当時は目の前のモノを形づくることに執着がありました。大きなスケールの作品になりますと一つの窯で焼いたものを幾つもつなげて構成しなければなりません。制作過程も長く、作品 の発想から完成に至る迄、気持ちの新鮮さを維持すること、なかなか難しく、陶芸の素材や技法の多様性を理解し、 造形するよりも、もっと実験的に様々な素材に触れ、アイディアをより直接的に表現したいと思い始めました。 」

Mdundo
(180 x 330 x 225cm)
鉄(フライパン100枚)、鉄パイプ
ケニヤ国立美術博物館 ナイロビ ケニヤ 2005年
撮影:Morris Keyonzo
Sponsor : FORD FOUNDATION

米光「写真を見ていますと、とても大きな作品が沢山ありますね。」
山村「そうですね。展示台やギャラリーの空間だけではなく、自分の身体で作品と対等に向き合いたい、体感したいという想いが当時はありました。そこで場所性がとても大事だと思い始めたんです。いきなり作品ができるのではなくて、場所があって作品を提案できるということです。サイトスペシフィックアート下記に解説を添付)という分野になるのですが…。」
米光サイトスペシフィックアート…。
山村「現地を訪れ、作品を設置したい場所や環境から、どんなものを作ろうかなと素材を選んだり、その国や土地にしかないような素材を探したりしながら制作が始まっていきます。」

【写真:ケニヤ国立美術博物館 ナイロビ ケニヤ(2005年)】
米光「渡航先へいく際、材料は道具はどのくらい準備されるのですか。」
山村「日本から入念に作品の計画を立てて材料を現地に持っていくことに魅力を感じたことがないんです。だから、基本はアイデアも材料も道具も何も持たずに渡航先を訪問したいと決めています。」
米光「どれくらいの期間滞在しながら制作されるのですか。」
山村「2週間から1ヶ月…半年から2年。海外のアーティスト•イン•レジデンス機関から招待を受けて渡航する場合と、友人や知人を訪ねる場合とで期間は異なりますね。」
米光「現地の方と触れ合うところから制作がスタートするのですね。」
山村「はい。自分の身を他の場所に置くことは新たな自分に出会えるチャンスだと思っています。ですので滞在先で生活をすることから始めます。その国の、街の1人の住人になれたらいいなと思って。でもなりきれないんですけどね。私は日本人ですし、いつも一時的な訪問者なのです。」
米光「たくさん心を動かされるのですね。」
山村「現地の見るもの触れるものが珍しくてごく日常的なことにも心を動かされます。その中でどうしても表現に繋げたいというモノやコトに出会うので、そこからゆっくりと制作が始まるんです。」

Hanbastagi
(430 x 650 x 390cm) 鉄、塗料
イスラミックアザド大学コロスガン校 
エスファハーン イラン 2004年
Sponsor : Abbas Kazemi, Esmaeil Kazemi, Fazlula Zamani

米光「現地の方と一緒に作っていくことも多いのですか。」
山村「規模の大きな作品になりますと、物理的に1人では持てないし運べないので、何方かに協力をしていただかないと制作が進んでいかないんですが、私はどなたかの手が作品に加わるということが最大の可能性だと思っています。」

※サイトスペシフィック・アート(英: Site-specific Art)とは、特定の場所に存在するために制作された美術作品および経過のことをさす。一般に、美術作品を設計し制作する間、制作者は場所を考慮する。
都市計画 > 環境アート > ランドアート > サイトスペシフィック・アート
屋外のサイトスペシフィック・アートにおいては、時には、恒久的に設置された彫刻(環境アート)などとも結びつきが深く、造園またはガーデンデザイン的な仕事(ランドスケープ・アーキテクチャー)を含む。また、屋内のサイトスペシフィック・アートの作品においては、建物の設計者と連携して制作されることもある。
また、特定の場所の為に特別に制作されたダンスやパフォーマンスアート、ポエトリーリーディングなどもサイトスペシフィック・アートと呼ばれ、その場合振付家や演出家は衣装のためのインスピレーションと動きのレパートリーとして特定された場所を使い、音楽においては、特にローカルな作曲者によって作曲された楽曲に委任することを重視することが多い。
            (ウィキペディア)

Infinity Stream
(290 x 914 x 304cm)
アルミナイズド鋼、鉄
アーチブレイ陶芸財団 モンタナ アメリカ 2001年 
撮影:Third Eye Photographic’s

どなたかの手が作品に加わるということが最大の可能性...

【写真:アーチブレイ陶芸財団 モンタナ アメリカ(2001年)】

山村「自分ひとりで計画立てたことが実現できても自分の範疇の自己満足で終わってしまうんです。私はそれでは納 得できなくて...。いかに自分自身が意表を突かれるような作品に出会えるかとか、計画していなかったことが突然起 きたりとか、それが人間だけではなくて動植物も含めて自分が置かれた環境で起きうる事象に委ねてみたいなと思っているんです。」
米光「委ねること...。」
山村「はい。結局私にはそれしかできなくて。最初は造形物や空間を美しく見せなくてはと考えていましたが、作品 には美しく見せること以外にもっと奥行きや広がりがあるのではないかと思い始めました。」
米光「それが、色々な人と関わりながらつくることだったのでしょうか。」
山村「色々な人と関わりながらつくるだけではなく、その場を訪れたらそこにしかないモノとの出逢いがあります。それは明らかに現地特有の素材なんです。それをどう自分が読み取り、自分なりの表現として提示できるかというこ とにドキドキワクワクするんです。」
米光「ドキドキワクワク。夢を叶える原動力ですね。」
山村「頼まれもしないのにどうしても実現してみたい、知りたい、実現したいという気持ちは未だに抑えることが出 来ず、その連続が自分の活動につながっていると思っています。年齢を重ねていい大人なんですが、これからも出来 ないことを叶えてみたいですし、夢みたいなことを思いついたら、それを自分以外の人の助けを借りてでも見てみたいと思う。そんな単純な好奇心や感動をいつも欲しています。」
米光「その時、その場所をとても大切にしながら歩まれてきたのですね。」
山村「その時、その場所で、今の自分に何ができるか?が大事だといつも思います。造形物から人々が介入できる作 品の仕組みを作ったり、それらに触れたり、鑑る人の五感に届くような作品を作りたいです。」

Form+
(143 x 330 x 200cm)
樹脂、金箔1000枚
国立美術館 バンコク タイ 2003年
撮影:Aroon Peampoonsopon
Sponsor : Watchara Prayoonkam, Plearnpattana school

【写真:タイ王国国立美術館 バンコク タイ(2003年)】
米光「山村さんのこれまでのメッセージには〝委ねる〟という言葉がよく合うし、素敵だと思います。」
山村「結局僕はできないことが多いんです。作家って年齢や経験を重ねると知識や技術も上がって鍛錬されていくはずなのに自分は未だ出来ないことばかり...。でも、もしかしたら出来ないというのはすごく大事なことなのかもと思 い始めています。」
米光「できないから助けてください、と言える...。」
山村「そうなんです。教えを乞うことはとても大事だと思っています。自分は先生という立場をさせていただき学校 に勤めていますが、世の中には先生という方がたくさんいらっしゃって、そういう方々に作品をつくるためにお出会いできることは、自分の人生をとても豊かにしてくれます。」
米光「思いがけない作品のヒントをいただけますね。」
山村「はい。専門家という立場や年齢関係なく小さなお子さんからお年寄りまで様々な考え方がありますよね。私はそれらに触れられたらと思います。」
米光「多様な見方、感じ方、考え方を作品を通じて見てみたいって思いますよね。」

作品をご覧頂く瞬間ってそういう方々と繋がれる瞬間だと思う。

【写真:タイ王国国立美術館 バンコク タイ(2003年)】

山村「作品をご覧頂く瞬間ってそういう方々と繋がれる瞬間だと思うんです。美術関連の一定の人達にご覧頂くのではなく、老若男女、国籍を問わず、様々な方々に作品をご覧頂き感じていただけたら嬉しいです。かといって誰かの ために制作や表現しているという感じもないんですけどね。笑」
米光「自分のため、でよいのかもしれないですよ。」
山村「はい。すごくエゴなんですけれど。」
米光「自分自身が愛でられて、アイデンティティが満たされないと他者を尊重したり理解する気持ちに繋がっていか ないかなと考えています。結局は私たちって行きつ戻りつの作業を...」
山村「しているんでしょうね。自分が最高に面白いと思うことを他の方が同じように思ってくださることって奇跡に 等しいなといつも思うんです。」
米光「面白いと思うことに尽きるんですよね。」

「今を一緒に生きている人たちが喜びを共有できたらいいなって。」

縁之段段茶亭
広州市内にて拝借した椅子、中国茶道具
53美術館
広州 中国 2015年

山村「今日のように、自分の作品について前向きにお話を聞いていただけることは凄く嬉しいですし、そういう方々 ともっと出会ってみたいって思います。自分の作品が変われる機会かもしれないですしね。」
米光「人との出会いって宝物ですよね。時代の流れや人の価値観って凄く短いスパンで変わっていくなと私は感じる のですが、そんな忙しい日々の中で出会ることも奇跡に等しいなと思っています。自分の作品や自分という人間につ いて共感していただけることも。」
山村「私には私の表現方法があって、米光さんには米光さんの表現方法がありますものね。人それぞれの生き方かな と思いますね。」
米光「人それぞれの生き方。子どもたちには人の生き様に出会ってほしいと願っています。一人の大人が夢中になって一つのことに取り組む姿。時にはバカになってのめりこむ姿を子どもたちにみてもらいたいなって。」
山村「そう。変な大人が居た方がいいんです。一人ぐらい違ったっていい。それぞれ異なった大人が存在しないとつまらない。豊かな日常にはなかなか結びつかないなと思います。」
米光「作家の色や形を通じてみんなが想いを分かち合えると素敵ですね。」
山村「今を一緒に生きている人たちが喜びを共有できたらいいなって思います。」

山村幸則さんの歩み

山村 幸則 (美術家)
1972 - 兵庫県神戸市に生まれる
[学歴]
1994 ‐ 大阪芸術大学芸術学部工芸学科陶芸コース卒業
2005 ‐ 国立オスロ芸術大学芸術学部大学院修士課程修了 (ノルウェー王国)
国内外にて滞在制作、プロジェクト、展覧会、ワークショップ等、多数開催

©️Yukinori Yamamura,2020

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