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戦争の痛手 美術を学ぶのはなぜ?

『戦争兵器が人にもたらす影響』
人が美術を学ぶ意味は何か、と問われたら私は一言でこう答えます。

「戦争しないため。」だと。

美しいな。愛おしいな。
人々から感性や表現の自由を奪い、心を麻痺させてしまえば簡単に戦争が出来ます。
戦争をしたい人たちにとって1番都合の悪いもの。それは美術なのだと。
逆に言えば、美術が学校教育という教科の枠を越えて人々の生活に身近に、ごく自然に社会に浸透していくことが「戦争できない社会」を作り出していく。

今日の講演では前回ふれることが出来なかった
「劣化ウラン弾」について少しお話をさせていただきました。
この兵器が各紛争地域にもたらした影響は皆様もよくご存知だと思います。
私自身、劣化ウラン弾については特別な知識があるわけでもなくまだまだ勉強しなければならない分野です。

私が24年前に出会ったセルビアの国立ガンセンターに入院する子どもたちの中には、劣化ウラン弾が投げ込まれた地域から命からがら逃げてきた子も多くいました。

〝この兵器の形状を目に焼き付けてほしい。〟

知識として知ってもらうより、視覚的な情報提示に目的を絞った理由があります。
それは、自分たちの生活する地域に落ちていれば
ごく普通に手に触れてしまうかもしれない。という形状をしている。そして、実際にそのケースが報告されているからです。

一見ドライバーのような工具のようで、公園に落ちていれば小さな子どもは手を触れてしまうでしょう。
先端の部位だけ転がっていたら、
「紛争後のガラクタだけれども記念に一つ持って帰って家で保管しよう。」と拾った人までいたのです。
使用後も先端部位から放射能が出続けていることを知らずに拾い、そこで生活をした人たち。

コストが安価で大量に生産できてしまった劣化ウラン弾。紛争の最中に受けた心身の傷と同じくらい深刻なのは紛争後人々に与えた影響だということを是非知ってもらいたいと思います。

「神さまになりたい。」

人は生まれながらに、無意識に、その欲求をもっています。時にその欲求は自己が成長していくための欲求なのだと正当化されます。
歴史上の独裁者達も無意識の成長欲求が、実は神になりたい。という欲求にすりかわっていたことに気づいていなかったでしょう。

誰しもバベルの塔を創造する危険がある。

神さまが人間に与えた〝物を創り出す〟という賜物を間違った方向で捉えてしまう危険性がある。

だからこそ私たちは美術と向き合う時に
「神観」や「宗教」や「信仰心」を避けては通れない。

人は神さまになれないのだと自覚することが、
戦争兵器を作らせない1番の近道だと
思わずにはいられません。

         大人の図工塾管理人 米光智恵

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