アートフラワー用針金と樹脂粘土でつくるマイフィギュア

題材名『マイフィギュア』 中学美術科

1.はじめに
題材名は授業の方向性を左右します。

マイセルフmyself ではなく、マイフィギュアmyfigure であることが生徒たちの多様な見方•感じ方•考え方につながっていくと考えました。

自分自身の探索。自分が一体何者であるのか。
周りの人たちにとって自分とはどういった存在なのか。

そんなアイデンティティを探るきっかけともなる
人形(ヒトカタチ)づくりは中学美術の題材として多く取り上げられています。しかし、思春期の子どもたちにとって自分を直視することは、大人が考えている以上に難しいことであり、作品制作の過程で実際に苦痛を感じる生徒がいることがこれまでの教師経験から分かってきました。
この苦痛とは第2項で述べる人物像へのトラウマに関係しているものです。トラウマをもつ生徒への合理的配慮を考えながら慎重に題材研究をすすめた結果、自分自身(マイセルフ)を形づくる必然性がないことに気が付きました。マイフィギュアと呼ぶことで、自分と向き合うまでにクッションを1つ置くことができるのです。

では、生徒たちに馴染みのあるフィギュアとは、どのようなものなのでしょうか。鑑賞活動の中で想起するものを聞いてみたいと思います。フィギュア作家やアニメーターの仕事現場を動画で鑑賞したり、民藝品など人形づくりの歴史を学んだり、クリスマスマーケットなどに並ぶ諸外国の人形作品を鑑賞することも出来ます。生徒たちとの対話から、小さな頃によく遊んだ玩具や人形の話に発展すれば面白いです。その子その子の生い立ちから引き出される表現が見つかるかもしれません。

併せて、著作権や肖像権について触れることを忘れないようにしたいと思います。実際に起きた盗作問題の事例をあげながら、美術が『法律と表現の自由という権利』の狭間に位置するものであることを確認することが出来るでしょう。
美術教師は〝参考にすること〟と〝拝借すること〟の違いを確認しながら、生徒たちが自分なりの表現を探れるように導く役割を担っています。
このように、鑑賞の糸口はたくさん見つかりますが、大切なのはそれらが生徒たちにとって〝自分ごと〟と捉えられる話題であるかです。
また、〝先生も作っていて楽しい〟と思える題材設定を心掛けておきたいと思います。教師と生徒がともに喜びを分かち合える題材選びは重要なポイントです。

〈フィギュア鑑賞の注意事項〉
『フィギュア』とは、本来は図面から型起こしした立体物のことです。このようなシンプルな意味にも関わらず、検索すると女性の裸体やSFキャラクターなど、明らかに性的にいかがわしいものの画像が出てきてしまいます。これは世の中のニーズとして、性的な意味合いのものが大きいので検索して1番に画像が出てきます。
〝アニメブーム〟や〝オタク〟。
こういったコレクションやコレクターが不適切だと言っているわけではありませんが、学校というパブリックな場所で制作する際は、以下の2点に注意して制作するよう声かけをします。

①性的な内容や公共のマナーに反するような残虐なものはアウトとします。
②また、※著作権 に反するものをアウトとしま
す。

※著作権についての鑑賞授業のノートが必要な方はこの記事のコメント欄にメッセージをください。ノート画像をお送りします。

2.美術の時間はトラウマを掘り起こすリスクと
隣り合わせ

たとえば自画像や手のスケッチ。
〝描く〟という行為を1つとっても、苦痛を感じる生徒がいます。その分かりやすいサインとしては以下のような行動があげられます。

①ゆびや爪を隠して描きたがらない。
②描きたくない自分を隠すために問題行動(私語や他者へのちょっかい)に走る。

苦痛と葛藤は違うものです。それは単に〝描くことが苦手である〟という以前に、自分を含め、人物を観察することへのトラウマがあるのです。
トラウマとは例えば、親や信頼する人から不適切な養護(マルトリートメント)を受けた子どもが人物に対して抱く不快感です。

筆者は西宮市教育委員会のあすなろ学級(不登校の子どもたちが通う学級)の校舎内に展示する絵画の選定委員会に3年間所属していたのですが、人や集団のエネルギーに疲れた子どもたちは、人物の絵を見るだけでストレスを感じます。フラッシュバックが起こるのでしょう。ですから、あすなろ学級の子どもたちが通る廊下や靴箱付近には人物像は飾ってはいけません。傷つき体験のある子ども達はその不快感(ストレス)から逃れるために無意識に自分の身体を傷つけてしまうことさえあるのです。

爪を噛む、髪の毛を抜く、リストカット等がよく挙げられる自傷行為です。

〝教室の中にトラウマをもつ子どもがいるかもしれない。〟

美術だけではなく、学校教育の全ての場面において、〝かもしれない〟という気づきはとても重要で、配慮をもつ1人の子どもに焦点を当てることで授業や活動内容が大きく変わってくるのです。
では、トラウマ(とりわけ小児期の傷つき体験)を抱えた子どもはクラスにどれだけいるのでしょうか。その割合はLGBTの子どもの割合と同じだと言っても過言ではないでしょう。専任の教師だけではなく、その子どもに関わる教師や支援者との確認作業があって、初めて授業を組み立てていくことが出来るのです。

※最新の知見(ACEs小児期逆境体験研究)については過去のこちらの記事をご覧ください。

https://note.com/chiemaru7/n/ne3fa8633b807
#トラウマ #ストレス#傷つき体験#マルトリートメント

3.美術教育と特別支援教育
美術教育は特性理解なくしては成り立ちません。特別支援教育の理念に基づかない授業の発展は難しいと言えます。

分かりやすく例をあげると、

人物像へのトラウマを抱えた子どもに対して
人物を描いたり形づくることを強要することは
蕎麦アレルギーの子どもに〝蕎麦を食べなさい〟と強要することと同じなのです。
半身不随で右手が麻痺した子どもに〝右手を使って作りなさい。〟とは言わないと思います。
障害に関していうならば、(以後、障害をギフトと呼びます。)
目に見えやすいギフトと見えにくいギフトがあります。最近の研究で社会の認知がすすみ、適切な支援や教育対策が明らかになってきたディスレクシア(書字障害)とディスグラフィア(読字障害)。これは非常に目に見えにくいギフトと言えます。文字を書いたり読んだりできない子どもに、〝努力が足りないからだ〟と言えない時代がやってきました。〝出来ない〟という認識も本当は誤りです。脳の文字認識に使う部位を別の仕事に使っているだけのことです。ディスレクシア、ディスグラフィアの人たちは実際に鋭い感覚に恵まれ創造性に富んだ人たちが多いのです。
にも関わらず、認知がされていなかったほんの数年前まで、このギフトをもった子どもたちは読み書きを強要され、学校の中で傷つき体験を重ねてきました。

今回の題材『マイフィギュア』でいえば、クラスの中にトラウマへの配慮が必要な生徒がいるならば、人形(ヒトカタチ)に限定する必要はなく、
大好きな動物や架空の生き物でもよいのです。
『みんなが同じ基準でつくらなければならない』
というのは、評価する側の教師の困り感であるので、生徒には全く関係がありません。生徒とクラスメイトの納得の上で1人の生徒に特別メニューを設定してもよいのです。みんなと同じ空間にいながら、みんなと違う条件で作ることは可能です。この場合の〝特別〟とは〝ひいき〟ではなく、〝特別支援(スペシャルニーズ)〟のことです。子どもの柔軟な発想に寄り添うことのできるセンスを磨くには、子どもの困り感に耳を傾けることでしょう。小学校であれば、〝先生みてみて!〟が止まない子に対して10秒の愛で抱きしめることでしょう。(コロナが収束したら思いっきり抱きしめてあげることもできるでしょう。)

10秒の愛。

愛。

決して目には見えないけれど、
確かに人の中に息づいているものです。

先生のエプロンのポケットに、
ジャージのポケットにいつも
その愛を忍ばせて、いざと言う時に
〝これでもか〟というほど
大きな愛を示してあげたい。

そのように願う今日この頃です。

    大人の図工塾管理人 米光智恵
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