アトリエの色、形、イメージ。金箔をもっと身近に。題材研究10年の歩み。
『ここが私の居場所』
私は雨の日のアトリエが大好きだ。
ポツポツ。
格子窓に当たる雨粒。
ピチャン。ピチャン。
水たまりに跳ね返る滴。
薄青の空に緑の草花。
その全てが子ども達の創作に彩りを添えていく。
心静かに絵筆を手にとる。
今日の安心材料を見つけたら、
キャンバスに心の風景が広がっている。
小学生、中学生、大人。
少人数でのアートを通した異年齢交流は、互いの価値観を享受できる貴重な機会だ。
家の中で普段は気づくことのないママの価値観に触れ、嬉しそうな表情を浮かべる子ども達。
ママ達はそんな我が子の姿を横で見ながら、
家では気付けなかった感性に気づき、
育児を回想し、穏やかな表情を見せてくれる。
居心地がいいな。
ずっとここに居たいな。
アトリエは必ずしも技術を磨く場所ではなく、
他人と比較し合う場所ではなく、
ふんだんに自分と内面対話ができる場所でいい。
大人も子どももほっと一息つける場所でいい。
どこかに置き忘れてきた自信を取り戻す場所でいい。
自分探しできる場所でいい。
アイデンティティを築く場所でいい。
最近特に思うことだ。
『黄金様式をヒントに〜素材に出会う糸口〜』
今日子ども達が最初に触れた素材はフェイク金箔である。100年前に黄金様式を確立した画家クリムトの表現を分かち合う時間をもった。
もともと教会の壁画を描いていたクリムトが1番にこだわっていたのは「光」の捉え方であった。
現代では「光」と聞くと、街のネオンやイルミネーション、プロジェクションマッピングを思い浮かべる人が多いかもしれない。
しかし人工的な光が無かった当時の人々にとって、
「光」を連想する材料は、ロウソクの灯火であり金色であったと推測されている。
キリスト教美術でよく見られる聖者のイコンや壁画。その絵画の中に眩いほどふんだんにあしらわれた黄金色。当時教会に集う人々は、「金」という色のその先に、崇高な光や神様をイメージしたのかもしれない。また金をあしらう職人や画家達の神観や技術やプライドが歴史の中に息づいている。これは日本のお寺の装飾も同じことが言えるかもしれない。
今日はこの歴史的な背景も頭の片隅に置きながらのワークとなった。
『金箔をもっと身近に〜フェイク金箔との出会い〜』フェイク金箔という材料をきっかけに自分の想いやイメージを色や形に可視化していくワークにチャレンジした。金箔の扱い方とベースづくりを紹介した後は子ども達ひとりひとりの心の引き出しに眠っている感性に委ねていく。
心象風景と具象の融合を
難なくやって見せる子ども達。
家庭という安全基地がある。
しっかり学べる環境が確保されている。
だからこそこれまでの経験やビジョンを描ける。
このアトリエの子ども達の姿から感じたことである。
金箔は純金109ミリ角で1枚340円と大変高価で、これまで子ども達の造形表現の場では、なかなか触れることができないものだった。
小さな子どもでもなんとか金箔を手軽に扱えないだろうかと模索し始めたのが3年前のことだ。
「子ども達に金箔に出会ってほしい」
「図工美術にとって、
もっと金箔が身近であってほしい」
少しずつそんなビジョンが芽生えていった。
夜、布団の中で私の頭の中をグルグルと掻き回すビジョンは、もはやビジョンというより混沌。
「この目に見えない混沌の正体がビジョンであったならば、その根っこは一体どこにあるのだろうか。」
この疑問と同時に自分の生きてきた足跡を辿る作業が始まったのである。
そしてやっと探し当てた。
それは10年前に東ヨーロッパ(セルビア)の小学校の図工を訪問した時にまで遡る。
当時まだ駆け出しの図工教師だった私は、海外の図工美術をみたいと夏期休暇を利用し、幼少時代お世話になったセルビアのホストファミリーを訪ねた。小学校の英語の先生をしていたホストマザーの協力により現地のミロシュ小学校の見学が叶ったのだ。
私はそこで、小学校低学年から高学年の子ども達(6歳から14歳、一年生から8年生が小学生)が教会の聖人を模写し、平面や立体に金をふんだんに施している作品に衝撃を受けた。授業の中で小さな子どもが金箔を使うことに加えて、宗教的なモチーフを題材にした授業は日本では考えられない。全てが初めて見る光景だった。中でも驚いたのは、現地の子ども達にとって金箔が身近であるという事実だった。
『金箔を保育•福祉•教育の現場に。〜10年の葛藤と歩み〜』
金箔の種類にもよるのだが、東ヨーロッパでは割と安価で手に入るようで「日本に持ち帰りたい」と現地の文房具展を数カ所見てまわったが、夏休みということもあり品薄で手に入れることが出来なかった。
帰国後、金箔を使った図工の実践をしているという金沢の図工の先生を訪ねたが、子ども達に与える金箔は109ミリで1枚500円❎4枚と関西の小学校では考えられない予算だった。
金箔への執着と手に入らないことへの混沌を抱えたまま10年が過ぎたある日、ネット上でフェイク金箔の存在を知った。「いよいよ現場で使える!」と期待したのも束の間、それから数ヶ月はフェイク金箔の安全性を確かめるため、一年の使用期間をもつことになる。皮膚の感覚過敏とアレルギーがあった当時6歳の息子と当時4歳の娘も金箔研究に力を貸してくれた。
そんな私の葛藤に力を貸してくれたのは家族だけではなかった。現場の同僚や、図工美術の先輩方だった。
安全性の確認をより多くの方と確かめようと、図工美術教師の研究会開催が叶った。↓
https://youtu.be/vKXCexR7mr8
更にこの研究会で安全性が確認できた上で、保育園や児童発達支援センターでの金箔アートワークが実現した。↓
https://magis.to/av/MSR_XgJUGAJ8OSUPYnZLBnE?l=vsm&o=i&c=c
こうした多くの方々の協力で、金箔が子ども達にとって身近なものとなった昨今。
どの題材をひとつ取っても、長く愛されるモノが生まれる過程には、こうした研究の努力や人の汗と涙が積み重なっているのだと感じた。
山を動かすということは、個人の力と個人の力、心と心が響き合うときに実現せられるものなのだということをこの経験から学ぶことができた。そして何よりこの努力が、今日の子ども達やママ達への恵みとなって返っていったことが嬉しくてならない。感謝してもし尽くせない想いと幸福が込み上げてくる。
ありがとう。
ありがとう。
私の心を突き動かしてくれた人たち。
ありがとう。
ありがとう。
私の心を受け取ってくれた子ども達。
ありがとう。
本当にありがとう。
大人の図工塾管理人 米光智恵
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