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「なんにもしない」の過ごし方

今年は一年の抱負の中で
何もしない
というものを一つ掲げてみた。
某ディズニーキャラクターのプーさんが言うところの、
何にもしないをしてるんだよ」
と言うやつである。
当初これを聞いた私は、はて?どういうことだろう?とよく分からなかった。
何なら、ちょいとあざと可愛い演出なのかな?と実にひねくれた見方をしていたくらいなのだが(プーさんごめんよ)、最近になってその意味が少し分かる気がする。

あれもしたい、これもしたい、でもやるべきことはこんなにたくさん…。
最新の情報は通勤時チェック。
読書の時間がほしくて炊事洗濯掃除をしながらオーディオブック。
自分のキャリアも家族の時間も大切に。
寝食の間をぬって働いたり人と会ったり遊んだり。

人間の生活ってフツーに目まぐるしくて忙しいのだ。

限られた時間の中でたくさんのことをこなす、それはそれで達成感もあるのだけど、たまにふと、これはこのままでいいのだろうか?という気がしてくる。

AとBの優先度はこれで合ってるんだろうか?もっとうまくできる方法あるんじゃないだろうか?
実はずっと脇に置いてるCを先にした方が結果的に全部いい感じに回るんじゃないだろうか?

立ち止まりたい。振り返ってみたい。
全体を見渡して考えたい。

でも、本当に忙しくしてるとそれを考える暇もないから、とにかく目の前のことをかたづけて、なんとなく先延ばし先延ばしになってしまう。

結局、何もしない時間というものは、待っていてもなかなか来ない。
なので、自分で意識して作ることにした。

「何もしない」をして見えたもの


やるべき家事や用事を終えてから、とりあえず座る。
好きなコーヒーなど入れてみる。
好きなゲームをプレイして浸る。

数分もするとソワソワしてくる。
こんなことしてていいのだろうか。
こうしてる間に何か意味のあることをすべきじゃないか。
貴重な時間をドブに捨てているのではないだろうか?
貧乏性なためか罪悪感がふつふつと沸く。

何もしない時間。
何も生み出さない。
何かを得ることもない。


一見、充実した時間とか有意義な過ごし方とは真逆な気がする。

出すことも入れることもやめ、ただただ無の時間を過ごしてみると、逆に普段は、ずいぶんと無駄なく隙間なくぴっちりと時間を使おうとしているんだなぁと思う。
隙あらば何かしらインプットしよう、アウトプットしようとしている。
まるで休みなく自転車をこぎ続けているみたいだ。

だからどうした?
じゃあ本当はどうしたいんだ?
と言われても、いえそこは別に、そうなんだなぁ〜と思った、ただそれだけのことなのだが。

プーさんの言葉は、実は深かった。
と言うことが分かったのでそこは成果だったのではなかろうか。

ちなみに私なりの「何もしない」ルールはこちら↓

・この日、この時間は何もしないと決める。なんなら予定に入れておく
・必要最小限でいいので用事をすませておく

・自分のやりたいことをする
ボーッとしたければボンヤリする、ゲームしたくなったらゲーム、出かけたくなったら出かける。しかしここで注意したいのは、
・意義を求めない。無意味を恐れない。
これと並行してアレをしたら効率いいとかコレをしたら一挙両得とかは考えない。それは別の日に回したらよいのだ。
目の前の楽しいを集中して楽しむ。

これも「何をしない」をより意義あるものにできる方法ではないだろうか。
(と、意義などと言ってる時点で「何もしない道」から外れてる気がするけども)

なんにもしない
そんな無意味な時間も大切にしたいなぁと思う。
ではまた次回。読んでくれてありがとう。

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