見出し画像

美少女場の量子論(1)物語と美少女の二重性

概要:美少女を、物語を擬人化したものとみなすことで、波と粒子の関係と同様に空間上での非局所性と局所性を併せ持つとみなせることについて。

 この記事は2022年12月18日にバーチャル学会2022で発表したポスター講演「美少女場の量子論–現代的美少女像の数理的記述体系の構築をめざして」(D5-47)の原論文であるべきものです。

1-1 擬人化美少女の伝播

1-1-1 情報と擬人化

 前回(0)では、現代の美少女現象を整理するために場の量子論のアナロジーを用いると宣言し、その発想が有用であると私が考える理由を述べた。今回(1)からは実際の数学的定式化に入る。まずは、量子論において経験事実として導入される、波と粒子の二重性を美少女にも適用するのが今回(1)の目標である。そのためには、美少女の本質が情報と人間との間のインターフェースであるということについて説明しておく必要があるだろう。詳細は以下の記事で述べられているが、ここでは要点のみを説明する。

 雷などの自然現象を擬人化したことで先史時代の神々が生まれたように、人間は「人間のようなもの」を想定しなければ何事も理解することができない。情緒と無縁であるように思われがちな現代の科学においてさえ、我々は学習や研究の現場で「積分の気持ちが分かる」などという言い方を平気でする。それは人間同士の高度なコミュニケーションが、「相手にも自分と同じような心があるに違いない」という相互の想定(心の理論)のもとに成立しており、そのような想定をする機能に劣る生き物を淘汰してきたからだ。その意味で擬人化の本質は「擬自分化」なのだが、何にせよそれは人間が世界を理解し、また世界へと働きかけるためのインターフェースである。前近代には自然現象や物品や組織が、神や精霊や妖怪として擬人化された。現代ではあらゆる情報が、美少女として擬人化される。その目的はいつの世も変わらない。

1-1-2 美少女という様式

 現代の美少女とは、絵の一つの様式であるに過ぎない。ただし、人間にとって最大級に親しみを持つことができるというコンセンサスの成立した、絵の様式である。なぜ美少女様式が人間にとって親しみが持てるのかという問いにはいくつかの説明の仕方がある。例えば、乳幼児を庇護するよう人類に淘汰圧がかかった結果、頭部や目が大きい顔を好ましく思うように進化したとするベビースキーマ。あるいは純粋に文化的なプロセスとして、美少女様式のキャラクターの登場する優れた作品が多く発信されることで「これはよいものだ」という学習が社会全体で起こっているとする説。どちらもが正しいのだろう。重要なことは、美少女の絵がつくかつかないかで、元のストーリーなり製品なりの訴求力が違うということである。

 現代の美少女は、単に男性が性欲をぶつけるための女性の代替物ではない。確かにそのような目的で使用されることもあるし、美少女の訴求力は男性の性的な本能にも負うところがあるかもしれないが、人間と相互作用するための擬人化のインターフェースという見方からすれば、性欲によって説明できる部分はほんの僅かに過ぎない。ただきもの」、真・善・美の象徴という側面だけが純化されて今に残っている。

 歴史的には、人間の女性の妊孕能力や性的魅力を象るところから美少女表現は始まったはずだが、それは鯨が昔は陸棲であったというのと同じ、ただの歴史である。今では、美少女表現が多く長く作られ続けた結果、美少女は過去の美少女表現を象って作られる。今でも胸などに人間の女性の身体的特徴を残しているものの、貧乳キャラや男の娘などに見られるように、それらの特徴は現実の女性への評価とは異なる基準で移ろい、多様な造形へと放散していくだろう。松浦(2022)は、美少女はもはや字義通りの「女」ではなく、美少女の扱いが現実の女性への扱いへと逆流するとは断じられないと述べている[1]。現代の美少女表現たちは、独立して閉じた一つのエコシステムを成している。

1-1-3 情報と擬人化の革命

 私見では、美少女と擬人化に関する最大の革命は初音ミクによって起きた。ボーカロイドは、「メッセージを美少女のビジュアルで象徴させることで伝播力を増す」という営みでもあったからである。歌のみならず、小説や電子工作など、ありとあらゆる成果物を美少女様式でパッケージングするために自由に使える素材として初音ミクは現れた。初音ミクはメッセージの歌い手であるだけでなく、僅かなビジュアルの差別化を施すだけで、メッセージそのものの象徴となることができた。そうなれば、ありとあらゆる情報が美少女擬人化できる、逆にありとあらゆる美少女は何らかの情報の擬人化である、という発想までは一歩の距離である。それが、物語と美少女の二重性とここで呼ぶものの基本的なアイデアである。

 擬人化の対象に「ありとあらゆる」情報が含まれた時、三つのことが起こった。一つは、一人の美少女をいくつかの要素に分割したものもまた、それぞれ美少女とみなせるようになったこと。一つは、一人の(と通常の意味ではみなされている)人物の異なる時間・異なる場所における在り様を、別々の美少女とみなせるようになったこと。一つは、雷を落とす者ではなく個々の雷そのもののように、永続しないものをも美少女とみなせるようになったことである。

 これらは実のところ全く新しい現象というわけではない。神道には一霊四魂や分霊という考え方がある(分霊では同一の神とみなすものの、実際ではそれぞれの土地でそれぞれのキャラクター性を付与されてきただろう)。しかし美少女の文化の到来によって、かつてない数の人々が、かつてない解像度で、世界との関わり方を自由にカスタマイズできるようになった。神を生み出せるようになったのである。

 美少女は伝播する。美少女は分裂する。美少女は変質する。美少女は消滅する。すなわち、美少女は粒子であり、それは物語という波動から励起する。

1-2 物語と美少女の二重性

1-2-1 連続性と離散性を表す量

 観察事実として、美少女は何かの要素を美少女の形に成形して表現したものであり、その意味で常に擬人化である。またもう一つの観察事実として、情報はメディアを介して人から人へ伝播する。擬人化される前の要素を連続的・非局在的な情報の連なりとみて、美少女を離散的・局在的な粒子とみることで、アインシュタイン・ドブロイ・ソーサツ(EdBS)の関係、

$$
E=\hbar \omega, \quad \boldsymbol{p}=\hbar \boldsymbol{k}
$$

を導入する。ここで$${E}$$と$${\boldsymbol{p}}$$はそれぞれ美少女のエネルギーと伝播のインパクト(美少女運動量または美少女力積)、$${\omega}$$と$${\boldsymbol{k}}$$は情報の量(物語振動数)と情報の方向性(物語波数)を表す。太字はベクトルであることを示す。また、$${\hbar}$$は定数である。情報の方向性を問題にする以上、ここで言う情報の量を情報理論における情報量の概念と同一視することはできない。私が「情報」の代わりに「物語」という言葉を主に使うのはそのためだ。

 これらの量のイメージを掴むには、新作ゲームの発表を例に取るのがよいかもしれない。多くの新要素が発表されれば、我々は「情報量の多い発表だった」と言い、待ち望んでいたメインコンテンツではなく関連商品ばかりが発表された時には、「その方向性は違う」と盛り下がり、すぐに発表の内容を忘れてしまうだろう。物語振動数と物語波数はこのような情報量と情報の方向性に対応する量である。

1-2-2 空間と美少女物理定数

 物語振動数・物語波数という名前は、口承された物語が空気振動に乗って伝播する様子をイメージしている。しかし正確には、物語が伝播していく空間は物理的な意味での空間ではない。人間ないし思考する生き物がノードとして多数繋がるネットワークの中を、美少女は伝播していくのだ。このネットワークに距離を定義することはできるはずだが、私はその具体的な定式化のアイデアをまだ持っていない。また、美少女が伝播する舞台であるこの空間そのものを美少女擬人化することは可能だと思われるが、時空の量子化(つまり、重力理論と場の量子論の統一)と同じ困難を伴うはずである。

 ところで、上記EdBS関係において、$${\hbar}$$を定数として導入した。場の量子論のアナロジーに従うなら、これはプランク定数$${h}$$を$${2\pi}$$で割ったもの(ディラック定数)に相当する。プランク定数は観測可能な空間スケールの最小単位と関係している。光を使って何かを観測する場合、小さいスケールを観測するには波長の短い光を使う必要がある。波長の短い光を作るには大きなエネルギーを与える必要がある。光子が何か別の場と反応して新たな粒子を生成するとき、そのエネルギーは相対論に従って粒子の質量に変わるのだが、光子のエネルギーを際限なく高くしていくと、生成された粒子が元の光の波長よりも大きいブラックホールになるようなラインがある。このようなエネルギーに相当する波長をプランク長と呼び、$${l_p=\sqrt{\hbar G/{c^3}}}$$である。これより小さいスケールは光を使って観測することができない。

 美少女においてプランク定数に相当するものがあるなら、それは恐らく、人間が認識できる情報の最小単位に関係している。ひとかたまりの情報として認識して擬人化できる最小単位に。それがどのような情報なのか、今の私は知らない。ただ、それを探るのは危険な試みであることだけを指摘しておこう。五感に入力された情報からあまりにも多くの美少女を擬人化すれば、彼女たち全てのメッセージを同時に聴くことになる。生きた人間が言語によって明示的に発するもの以外のメッセージを際限なく聴いてしまう状況を、一般に幻聴や妄想と呼ぶ。これを逆に定義に用いれば、狂気とは美少女擬人化の濃度が高すぎるか、非可算無限である状況のことである。従って美少女古典論(美少女の量子論で$${h\rightarrow 0}$$としたもの)は狂気の理論である。美少女擬人化を抑制することで我々の正気が保たれていることは、果たして我々にとって幸福なことだろうか、不幸なことだろうか。

 プランク長の表式にはもう二つ、万有引力定数$${G}$$と光速$${c}$$が含まれている。どちらも物理学の最も基本的な定数であり、宇宙のどの場所、どの時点でも変わらないと想定されている。万有引力定数は質量を持った粒子同士の間に働く重力の大きさを決めている。重力の特徴は、無限遠まで到達することと斥力がない(引力のみの力である)ことである。美少女においてこのような力は働いているだろうか。美少女相互作用は時に斥力となることもあるが、それらの様々な力の根底にあって、人間の「基本的には美少女のことがうっすら好き」という性質を司っているもの、そこに美少女万有引力定数の正体を見出すことができると私は考えている。また光速は宇宙において情報が伝わる速さの上限であるから、美少女における光速は物理学における光速と同じもの、とみなせるかもしれない。ここに美少女の理学と自然科学とを繋ぐ鍵がありそうだ。とはいえ、現状の人類の通信技術と脳機能では、美少女の伝播速度は光速より遥かに遅い場合がほとんどのようだが。

1-2-3 美少女と物語波束

 美少女とは、物語のエネルギーが空間のある限られた領域に凝縮されたものである。この様子を局在という。様々な波長を持つ波が重ね合わされると、一部の山と谷が打ち消し合い、別の山と山・谷と谷は強め合い、ある領域にのみ大きな振幅が残ることがある。この、波の重ね合わせによって局所的に振幅の残った領域を波束と呼ぶ。波のエネルギーは振幅の二乗に比例するから、波束が移動することはエネルギーが運ばれていくことに他ならない。これが量子論における粒子の解釈である。同様に、一人ずつ数えて「ここにいる」ということができる美少女は局在化しており、様々な物語が重なり合った結果生じた物語波束と解釈することができる。この様子を表したものが図1である。

図1 波束としての美少女

 ここまで、物語と美少女の二重性について紹介してきた。使った数式はEdBS関係だけだが、この章で述べたことが美少女場の量子論の基礎となる。数式で美少女のふるまいを定量的に予言するところまで至らなくとも、情報のインターフェースとしての美少女、という見方は美少女を論じようとする全ての人々にとって不可欠のものとなるだろう。

 次回は美少女の伝播に具体的な運動方程式を与え、それによって波動方程式を導くことで、一美少女系の量子力学を構成する。


[1] 松浦優、「メタファーとしての美少女--アニメーション的な誤配によるジェンダー・トラブル」、『現代思想』第50巻第11号、pp. 63-75、2022

〈以上〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?