やっぱりリズムって大事

先日のギターソロのライブ配信を通して、あらためて思ったことが1つありました。それがこの記事の表題。

私は音楽を演奏するとき、特に「リズム」を大事にしています。今回のギターソロの場合、うっかりすると見えにくくなりやすい「リズム感」あるいは「グルーブ感」をいかにキープするか…とても大変な作業でしたが、たとえミスタッチをしても、せめてリズムだけは失わないよう心がけていました。

リズムはいわゆる「音楽の三要素」…メロディー、ハーモニーと並ぶ存在で、拍子や速さ、曲の全体の雰囲気も含めた「質感」を司るものです。あまり「リズム」とは、という話になると壮大になってしまうのですが、振り返ってみると、少なくとも自分の音楽との関わりはいつもリズムとともにあったなあ、と感じています。

実際に、私のギタリストとしての「仕事」の多くは、メロディーを担当するよりも、リズムを刻んだり、アンサンブルのボトム的存在、パーカッションやベースの役割に近いような気がします。何より、自分の演奏&リズムでお客さんが楽しんでくれたらうれしい、メロディーを楽しそうに演奏してくれたらうれしい、パーカッションとシンクロできたらうれしい、というメンタリティーを持つようになったのが大きかったです。20代のころはギタリストとしてどう歩んだらいいか、悩む日々が続いていましたが、そのことに気づいた30歳のころから現在にいたるまで、このポジションは私にとって本当に心地よい、まさに「安住の地」でもありました。

原点は「ボンボ」

両親の証言によると、私が3歳で最初に手にした楽器はマラカス、その次に演奏したのは南米の打楽器「ボンボ」だったそうです。特に少年時代にボリビアのグループ「ロス・カルカス」が好きになって、5~7歳のころはウリセス・エルモーサのマネをしてボンボを叩きまくっていたようです(正確にはウリセスが実際に叩いていたのは大型の「ワンカラ」という楽器で、後に父が革を取り寄せて自作してくれました)。

私がギターでアルゼンチン音楽を始める前、家族と一緒のグループで演奏している映像や写真ではほとんど「ボンボ」や「ワンカラ」をかついでカルカスの曲などを演奏していました。ちなみに「カルカス少年」時代の最終形態はボンボ(ワンカラ)、ケーナ、サンポーニャ(長さの異なる2種類)、でボーカルという装備でした。

ギターを始めてからはボンボを叩く機会はかなり減ってしまいましたが、ライブや録音で南米の雰囲気を出すために、今でも時々ボンボを叩いたり、ギターでボンボ風のリズムを表現することがあります。自分の2つのソロアルバム『不思議な風』『トレス・オリヘネス~3つの始点』でもアルゼンチンの曲を収録する際にボンボを使用、またいくつかの参加アルバムでも収録しています。

『Bolivia』(Gonzalo Hermosa)   ffuma フーマ  1988

子どものころ、カルカスの『ボリビア』を演奏した動画です。いつ笛と打楽器を切り替えるかというタイミングを考えていたような気がします…。ちなみにボリビアを含めアンデスのボンボやワンカラは、薄い板を筒状にして両サイドに革を張った構造のものが多いです。

一方、アルゼンチンのボンボの主流は「ボンボ・レグエロ」といって、木をくり抜いて真ん中が膨らんだような形状。和太鼓よりもずっと薄いので片手で持てます。アルゼンチンのフォルクローレでは、ある意味アンデス音楽以上にボンボが重要な存在です。以前FMの番組で紹介するために音源をあらためて聴いたら、だいたいボーカルと同じ音量・距離感で録音・編集されているので印象に残る残る。現地のフェスティバルなどの映像ではパーカッションまたはドラムのセットにボンボ・レグエロが組み込まれている光景がよく見られます。

現在、自宅には残念ながらボンボは置いていないのですが(実家にあります)、書いていたらちょっと叩きたくなってきました。私にとって、演奏者としての原点はボンボ、なのかもしれません。


スペイン音楽とリズム

さて、すっかり「ボンボ愛を語る」記事になってしまったので、「リズム」の話に戻します。フラメンコギターを始めて間もないころ、フラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアのドキュメンタリーのビデオ『Paco de Lucia Light and shade(邦題:パコ・デ・ルシア 栄光の軌跡)』をよく観ました。もちろんすごい演奏の数々に感動しましたが、そこでパコが語っていた言葉がとても記憶に残っています。

「スペイン音楽ではリズムが重要だ」
「たとえ音が濁ったっていい、僕はリズム通りに弾きたいね」

私は今もこの言葉を自分のモットーにしている気がします。実際にスペイン由来の音楽はリズムの比重がとても大きいですし、そもそもスペイン音楽もルーツをたどればインドやアラブの文化から影響を受けていて、いずれも打楽器がとても重要な役割を担っています。そしてアメリカ大陸へはアフリカからの流れがあることを忘れてはいけません。

フラメンコのアーティストのリズムに対しての意識はちょっと極端なくらいで、例えばフラメンコギターを弾いていて「ビシャ」と音がつぶれると、むしろ「オレ!」という声がかかります。励ましの意味もあるでしょうが、「ムイ・フラメンコ」とてもフラメンコ的な音、としてステージの中に受容されていると思います。逆にリズムを外すと「フエラ・デ・コンパス(リズムからはずれたな)」となり、どんなに情感がある演奏であっても途端に「失格」になってしまう恐ろしさがあります。私のフラメンコギターの師、鈴木英夫さんやベンハミン・アビチュエラからもリズム(コンパス)の重要性を最初に教わりましたし、10年ほど前にフラメンコのチームで来日したチャノ・カラスコの個人レッスンを数回にわたって受けた時も、カリキュラムの半分以上はリズムのとり方でした。

リズムを伝えていく

アルゼンチンタンゴの演奏については、打楽器のない編成がほとんどですが、バンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバスもそれぞれ譜面に「叩く」「こする」という表記があったりしますし、ギターも盛り上がる場面ではストローク(刻み)、小編成になるほどリズムを担当する割合が多くなります。

同じアルゼンチンでもフォルクローレはまた全然異なりますし、実際に現地に行ってリズムを一から学んだときはかなり「目からウロコ」でした。ボリビアやペルーの音楽の演奏でも「リズムを共有する」ことがいかに重要か、多くの場面で経験しました。いま思えば、これまでお世話になった先輩ミュージシャンから学んだこともまた、かなりの割合で「リズム」に関するものでしたし、経験のなかったキューバのリズム、ポルトガルのファドのリズムについてもまた、来日アーティストから直接指導してもらう機会をいただき、自分の財産になっています。

私もギターを教えるときは、曲を弾けるようになる前に、まずリズムをとれるようにすることに重点を置いています。あるワークショップではリズムの練習にほとんどの時間を使ってしまいました(主催者の方には申し訳ないです…)。でも「基盤」をしっかり作れば、その後がずっと楽になります。私も関東に住んでいたころ、10日連続で本番、しかもそれぞれ違うメンバー、異なる内容というタフなスケジュールを経験したことがありますが、まずはその音楽や曲のリズムを体に入れるように、という意識で取り組んだことで、なんとか乗り越えることができたような気がします。

これからも、曲に出会ったときにはリズムを理解するように心がけていきたいと思います。そして、共演が叶った日には、またみんなでグルーブを共有できるリズムを刻みたい、と心から願っています。

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