アタシックレコード~私的備忘録(5)
昭和備忘録(5)
我が家の食べ物事情
禁じられた食べ物
潔癖症の食へのこだわり
私の父は、極度の『潔癖症』でした。
特に、『食』に関しては病的なほどで、
他人が作ったモノ(手作り)が、
食べられませんでした。
そんな状態なので、
惣菜などの出来合いのモノは、
ほとんど食べた記憶がありません。
基本的に、自分たち(母)が作れるモノは、
ほぼ自家製だったように思います。
もちろん、素人(母)では作れないモノは、
買うことになるのですが、
父が厳選していたのは言うまでもありません。
(母は大変だったように思いますが…)
今にして思うと、
父がダメ出ししていたのは、
『他人が作ったモノ(手作り)』、
『何が入っているかわからないモノ』、
この二つだったように思います。
なので、市販のモノ(食品メーカーのモノ)は、
基本的には大丈夫という訳です。
そんな感じなので、
子どもの頃は、
自由に駄菓子を買うことができました。
(一応、駄菓子は市販品なので)
ただ、ひとつだけ禁止されたモノがあるのですが…。
駄菓子屋
『駄菓子屋で駄菓子を買う』
子どもにとって、最大級の楽しみです。
なので、ほぼ毎日、
近所の駄菓子屋に通っていました。
小さい頃の、
私の一日のお小遣いは30円でした。
(短期間で50円になった記憶もありますが…)
今ですと、これっぽっちじゃ、
何も買えない状態かもしれませんが、
当時はそこそこのモノが買えた訳なのです。
なにせ、1個5円の商品もありましたから…(笑)
大抵のモノは10円の商品です。
そういうモノが最低でも3つ(3種)は買える。
その組み合わせは多種多様になります。
ちなみに、当時人気だったのが、
『仮面ライダースナック』。
お菓子というより、
付属のカード欲しさに買っていた。
そんな感じなのですが…。
当時は1袋20円だったと記憶しています。
これと、他のモノを一つ。
これが私の定番でした。
友達とワイワイしながら買っていた。
なつかしい記憶です。
当時は、神社の境内が遊び場だったので、
飲み物は『水』でした。
今にして思うと、バチが当たるのかもしれませんが、
手水舎の水を皆で飲んでいた訳です。
ちなみに、手水舎の水は『井戸水』で、
水は井戸ポンプ(手動)で汲み上げる仕組みでした。
当然、『生水』なのですが、
子どもだった私達は、皆でガブ飲みしていました…。
今にして思うと、
『神のご加護』か『お目こぼし』だったのか、
定かではありませんが、
これで『水あたり』する子どもは誰もいませんでした。
どうやら、神様は、
境内で無邪気に遊んでいる子どもたちを見ることが
楽しかったのかもしれません…。
禁止されていた駄菓子
子どもたちが食べる駄菓子に関しては、
ほとんど口を出さない父でしたが、
唯一、「食べてはならぬ」と
禁止していたモノがあります。
それは、『色付きのチョコレート』です。
いわゆる、『マーブルチョコレート』というモノ。
おはじき形の粒状のチョコレートに、
カラフルな色(七色?)が
着色(コーティング)されていて、
当時としては、かなりポップなイメージでした。
当時、駄菓子屋で
八の字型(メガネ型)の形で、
十数粒のカラフルなチョコが散りばめられているモノが
売っていていました。
このチョコは、端に輪ゴムなどをつけると
メガネになる仕様になっていて、
ちょっとしたアイデア駄菓子でした。
粒チョコの数も割と多く、お手頃だったため、
子どもたちの間でも人気の高い駄菓子だった訳です。
その駄菓子が禁止でした…。
父が言うには、
「本来のチョコレートの色は焦げ茶で、
色付きは塗料が塗られている(塗装されている)」
そういうことでした。
要するに、チョコがコーティングされているが、
どんなモノでコーティングしてあるかわからない。
得体がわからないので、食べてはならない。
そういうことかと思います。
今にして思うと、
『合成着色料』という言葉が頭に浮かびますが、
当時は、子どもです。
そんなことわかるハズもありません。
父自身も、知ってか知らずかの世界かと思います。
(多分、何かで情報を得たとは思いますが…)
ただ、父が「ダメ」というモノはダメなので、
従わざるほかありませんでした…。
そんな訳で、
『色付きチョコレート』は禁止だった訳です。
あれからずいぶん経ちますが、
いまだに、このチョコレートは
食べたことがありません。
というか、食べられない…。
理由はともかく、親に厳しく言われたことは、
どうしても手が出せない。
それは、一種の『呪い』と言えるのかもしれません。
なかなか怖いモノがあります…。
おまけ
毎日のように、買っていた
『仮面ライダースナック』。
そんな訳で、机の引き出しいっぱいに、
『仮面ライダーカード』がありました。
今、このカードが
割と高値で取引されているようです。
持っていたら、一財産になっていたことでしょう。
でも、残念なことに、
手元には一枚もありません…(涙)
当時は夢中で集めていたとは思いますが、
こういうモノは、
ある年齢(機会)には
卒業しなければならないモノです。
そんな訳で、
多分、何らかのカタチで処分したのだと思います。
ホント、何がどういう価値を持つか…
わからないモノです…。
あ、そうそう、
同じようなモノなのですが、
『プロ野球カード』も集めていました。
もちろん、同じ運命で、
手元には、一枚もありません…。
考えると、
『みんなが集めていたから、集めていた』
そんな感じで、
本当のトコロ、集めることが楽しかっただけで、
コレクションという意識はなかったのかもしれません。
子どもとはそういうモノかと思う次第です…。
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