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期待するとき気をつけること

 今日は期待というものについて考えてみました。少し間違えるととっても怖いものになってしまい、効果的に使うといい結果をもたらす「期待」について、書こうと思います。

 今日も誰かを傷つけるってことをしようという目的ではなく、こんな考えもあるよという感じで捉えてもらえると嬉しいです。考え方を広げるといいよってところはまた「教養」って項目で書こうと思います。

「期待」基本的にはかけるもの

 本来、期待はモチベーションの源であります。素敵な大学生活を○○大学で送りたいから受験勉強しようとか、お金がたくさん手にはいるように競馬に行こうとか、モチベーションの源になります。よって、期待は持たないと人生が潤いません。

 そうすると、何が困ったことになるのでしょうか。

期待は怒りの源になりうる

 期待は怒りの源になります。期待の裏切りが怒りに変換されます。かつてベッキーさんが世の中から叩かれたように、清楚で真面目そうなのにそうではなかったとか、藤浪晋太郎が阪神タイガースの黄金期を作ってくれるに違いないって思ったのに今は不調だとか、そういった時に怒りは沸きます。期待の裏切りは怒りを生みます。期待された結果がもたらされないと怒りに繋がるので、危険なことがあります。

期待はモチベーションの低下に繋がりうる

 期待はモチベーションの源になりますが、期待はモチベーションを下げもします。学習したのに期待したほどの結果が得られなかったとか、筋肉ムキムキになれると思って腹筋をしたのにムキムキにならなかったとか、そういった時にモチベーションが低下します。期待の裏切りが続くと無気力状態になることがあります。なので、適度な成功体験を得つつ、適度な失敗体験にならないとよくないのかなと思います。

人からかけられる期待の危うさ

 bearは常に繰り返して言っていますが、思春期の人たちは自身の「才能」に期待をしている人がいます。他人からの期待を全て「才能」に変換して聞いてしまうところがあるので、生きてて辛くなることも多いように感じます。例えば「めっちゃ賢いやん」だけでも「自分の脳が凄く優れているという部分があると思われて嬉しいけど、この期待を裏切ってしまったらどうしようか」という悩みに繋がる可能性があるということです。そして、この期待を裏切りたくないが故にやらないってことがよくあるように感じます。

期待の適切なかけ方

 そうするとどのようにすればいいのかと言うことになりますが、期待を細分化するという行為をするとよいと思います。相手に期待をかける時も、自分に期待をかける時も、細分化するということを意識するといいと思います。

 具体的にいうと、「お金を得たい」は何のために欲しいのか、その為の方法は1つしかないのか、など細かく細分化していくといいと思います。「お金が欲しい」⇒「いい服を買いたい」⇒「その似合っているいい服を着てPARTYに行きたい」⇒「PARTYで素敵に見られたい」みたいな感じです。そうやって考えていくと最初に期待している内容と本当に期待している内容が大きく異なることになり、しんどさが軽減出来る可能性が高まります。

 相手にかける期待の時も、成功部分と失敗部分をあらかじめ設計したり、成功部分は「才能」のおかげではなく「努力」の結果だよと言ってみたり、細かく期待を考えてあげるといいのかなと思います。

 つまりは期待する時には自分にも相手にもよく考えてあげて下さいって話でした。

 ご相談などがある方はいつでもコメントまで連絡下さい♫

 読んで下さりありがとうございました。

 

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