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教育の目標

 今日は昨日の話題に続いて教育の目標について。

 今日の内容、こんな考えをしている人もいるんよーくらいに思ってくれると嬉しいです。誰かを嫌な気持ちにさせたいってことではないので。

 昨日の記事はこちら。

 教育の目標っていったい何でしょうか?

 私は塾を経営していますが、学校でならう英数国社理などはそこまで全員に意味があると思いません(科目そのものを否定している訳ではないんです)。

 もちろん、識字教育は大切だし、お金の計算が出来ないと生きていけないし、空を見て星の知識があれば素敵だし、本を読んで何かを理解することやこの文章が素敵だなって感じることで人生が豊かになると思うし、英語が理解出来れば世界に繋がるし、歴史を知ると遺跡とか見たときに特別な感情が生まるし、学校で習うことをがんばることで素敵なことはたくさんあります。

 しかし、そこまで到達することを設計して学習するってとても大変なのではないかと思います。きっと上記にあげた目標まで到達するにはその分野をきちんと少なくとも3ヶ月くらいはしないといけないのかなと思います。そして、その3ヶ月やりきることが実は難しいのではないのかなって感じます。

 だから、勉強をさせたいっていう言葉にちょっと違和感を持つことがあります。勉強をさせたい子どもには、3ヶ月何かを続けたりやりきれたりする練習を先にしなくてはならない場合がほとんどなのではないかと私は思います。

 そしてそれを3ヶ月から6ヶ月、1年、2年と伸ばしていくことが出来ればその生徒はどんなことも出来るようになっていくのかなと感じます。このやり抜く力を最近は「GRIT」なんて呼び方で呼んでいます。

 教育の目標はこの「やりぬく力を育む」ことかなと最近は思っています。このやり抜く力を練習するために学校でならう英数国社理は最適かなとも思っています。

 英数国社理で「自分でがんばればちょっとずつでも出来ることが増えそうだ」と思った後に、論理力を鍛えたり、社会競争力を鍛えたり、情操教育に活きたりするものが生まれるのかなと思っております。

 分かりにくい感じかもしれないので言い方を変えると、「自身が頑張って工夫して考える力を身につけること」を一番大切な教育目標にすると、教科教育をすることがイマイチな時があるような気がするって話です。

 この「やり抜く力」の最大の敵が私が思うに「自己肯定感を傷つけられること」です。「こんなことも出来ないのか」とか「自分は本当にダメだな」って感じさせることを繰り返していくと「やり抜く」どころか何にも「ただやる子ども」が育ってしまうような気がしています。

 ここに気を付けながら学習すると少しずつ人間として成長できて、その結果ちょっとがんばってみるかとなるのだと思います。

 教科教育はきちんとした手順で時間をかければかなりの確率で出来るようになってくるので、勉強はした方がよいと一般的にはなっているのだと思いますが、意識するポイントを「やり抜く力」に変えてみてはどうでしょうか?


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