見出し画像

ショパン:ピアノ・ソナタ3番(ヴァルナビリティ 傷つく力)


演奏会は夜が多いので、女性が出産後も働き続けられる音楽事務所はめずらしかったのかもしれない。出産後の女性の復職率は今でこそ6割ときくが、20年前、第一子の出産から職場に復帰するのは3割程度。平日の演奏会は開演19時、終演21時。春や秋のコンサートシーズンは、週に数回演奏会があるので、確かにマネージャー業と母親業とは両立しにくい。

そうはいっても、社内には何人もの先輩ママがいて、育休復帰後も普通に仕事をこなしていたので(少なくとも当時はそう見えたので)、私も当たり前のように、保育園の0歳児クラスに長女をあずけて職場に復帰した。

ある程度の覚悟はしていたつもりだが、乳幼児を育てながらフルタイムで働くことが、これほど大変だとは思いもよらなかった。時間に追われて、家の中でも外でも会社でも、いつでも走っていたような気がする。きりきり舞いで、綱渡りの毎日、今振り返ってもよくこなしたなと思う。

ということで、長女と次女の年の差は8年となった。年が離れて子育てしやすくなったのかどうか、よくわからない。ひとりっ子を2回育てたのような気もする。結果、家には長いこと、ちいさい子がいて、私たちの台風の目となり、そして太陽となった。

生活においては、子供たちは朝起きたときから元気一杯飛んで走って笑って怒って、すぐに疲れて、お腹がすいた。お腹がすくとすぐわかる。とたんにきげんが悪くなり、少しでも放置すると手がつけられなくなる。なので、外出時の私のかばんの中には(というか、おそらくどのお母さんのかばんの中にも)いざという時の着替え、おもちゃと一緒に、飴、おせんべい、小さいおにぎりなどの非常食が入っていた。まずは食べ物以外のあの手この手で子供の気を紛らわせてみるが、最終的には子供を空腹の不快さから引き離してくれる飴玉の力に頼ることになる。

いっとき、その不快さから引き離してくれるもの、時間をかせいで、なんとか帰る場所まで歩かせてくれるもの。自分を励ます言葉を、大人用の非常食としてポケットにいれて持ち歩くようになったのもこの頃からか。なかなかよい習慣を手に入れたと思う。

 新しい自分がみたいのだ、仕事する(河井寬次郎)とか
 人間は、わかろうと背伸びをして、わからないことを咀嚼する中でしかものごとをわからないってところがあるのではないでしょうか。そういう背伸びを拒絶するようになったら、人間はおしまいでしょう。(橋本治)とか
 真剣に考えて選んだ道は、どちらを選らんでも同じ道につながっている。(誰の言葉が思い出せず)とか
 明るい方へ翻す。(誰の言葉か思い出せず)とか

ときどき、ポケットに入らないような、大きなものに出会う。例えば、これは、数年前に長女の中学校の掲示板に貼られていたポスターだった。

神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。
ただ、挑戦することを望んでいるだけです。 
マザー・テレサ

私はしばらく掲示板の前で立ち止まって考えた。
なぜ挑戦が尊いのか。わかるようでわからない。
挑戦する勇気とは何なのか、傷つく覚悟とは何なのか、なぜそれが望まれるのか、折にふれて考えてきたが、長いことわからないままだった。

ふと目にしたTEDで、この問いに直球で答えいている人がいた。Vulnerability(脆弱性、弱さ、心のもろさ、傷つく心の力)について語るブルーネ・ブラウン。

TED ブレネー・ブラウン 傷つく心のちから

あるがまま、自分を肯定して生きている人たちが
共通してもっていたのは勇気でした。
不完全であってもよいとする勇気です。
そしてまた、その人たちは、共通して
心のもろさを受けれていたのです。
その人たちはこう信じます。
自分たちの心をもろくするものこそ、
自分たちを美しくすると

だれもが自分を完璧だとは思えない。不完全で、not enoughな自分をさらせば、深く傷つくことを知っている。Vulnerableな自分、でも、それをふくめて、あるがまま(ブレネー・ブランはWhole-heartedという言葉をつかった)でなければ、心と心をかよわせることもできなくなる。果敢なる挑戦は、勝つか負けるかという問題ではなく、傍観者ではなく、競技場で自分の人生を生きるということ、それはもっとも勇気ある挑戦といえる。

ブルーネ・ブラウンのこの言葉のあと、TED会場が波を打ったように静まり返ったのが印象的だった。


昨年ウィルス感染拡大で1年延期され、今年6年ぶりに開催されたショパン・コンクールの大フィーバーで、ショパンを聴く機会が多かった。

個人的にはショパンはつかみどころがなく、好んでは聴かない。
その昔、とある女性ピアニストがインタビューで「ショパンは男の破滅の曲だから」と答えているのを読んで、あぁ、だから、よくわからないんだとすっきりしたくらいだ。

今回あらためてショパン最後のソナタ、3番を何度となく聴いているうちに、ふとこれは、破滅の曲というよりむしろ破滅に耐えるVulnerable な曲なのではないかと思った。生身をさらし、どうしようもなさに耐えるだけ耐えた後、そこから逃げも隠れもせずに反転する瞬間があるように感じる。

不恰好な私が、矛盾をかかえたまま、さまにならない自分の姿を鏡に写すことを承知で世界に触れたとき、そこに立ち現れる姿、それこそが、私の唯一性として望まれる、自分を生きるということではないかと思うのだ。


2005年ショパン・コンクール優勝者ラファウ・ブレハッチ  のショパン:ピアノ・ソナタ3番 4楽章 

https://youtu.be/EmlknSVR2aU?t=41

画像1

数年前、長女の中学の掲示板に書かれていた。

画像2

ブレネー・ブラウンの「Daring Greatly(果敢なる挑戦)」は邦訳「本当の勇気は「弱さ」を認めること」(門脇陽子訳/サンマーク出版)が出ている。

画像3

「Daring Greatly」の中で、著書が「あなたの言いたい『偽りのない心(Being wholehearted)』ってこのことね。」とプレゼントされた絵本としてマージェリィ・W・ビアンコの名作「ビロードのうさぎ」が紹介されていた。クリスマスの朝、男の子に届いたビロードのうさぎが、どうしたらほんものになるれるのかと皮の馬に聞く。「子どもが長い長いあいだ、きみをだいじにする。そして、ただの遊び相手ではなく、本当にきみを大切だと思うようになる。そのとき、きみはほんものになるんだよ」と答える。

 VulnerableでWhole-heartedな子供の心ほど、心と心をかよわせる暖かさを教えてくれるものはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?