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ほんとのことが知りたくて

去年の夏、私は当時の小山田圭吾さんコーネリアス掲載雑誌を掻き集めた。

何でも自分の目で直接確かめないと納得できないので、持ってない雑誌も原本を買い集めた。

そこでみつけた気になる記事を、誰か拾ってー!って意図でポツポツとTwitterでシェアしたりしていたのだけど、一度時系列に纏めておこうと思います。

ロッキングオン  JAPAN の記事です。
インタビュー記事抜粋については全てインタビュアー山崎洋一郎さんです。

フリッパーズギターの頃から。

1991年4月号 
フリッパーズギター 
インタビュー余談↓

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付記「フニャモラーズミーティング」(恵比寿焼肉屋〜)
より

小沢「やっぱダメだよ。山崎さん言わそうとすること決めてきたんだもん。
で、こっちがそんなことないっすよ というと怒んの。そうじゃねえだろう って」
小山田「ハハハハ」

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「場外乱闘」というJAPANの編集後記より

上の焼肉屋ミーティングは個別インタビューの追加で、急遽掲載された模様。(飲み会録音してたのかな?)

*フリッパーズギターは当時のJAPANではフニャモラーと呼ばれていました。

次これはフリッパーズ解散後
コーネリアス デビュー前

1992年6月号
相変わらずのフニャモラぶり


1992年12月号
田島貴男さんと小山田さんの対談


病弱プー太郎小山田

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場外乱闘


この辺から怒涛の小沢健二 小山田圭吾 
テレフォンショッキング状態で2人は暫くJAPANに登場しつづけています。

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1993年8月号小沢健二 9月号小山田圭吾
1993.9 読者投稿欄より
1993.9 場外乱闘

JAPAN始まって以来の凄まじい大反響


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1993年9月号インタビューより

↑この号で小山田いじめ発言が初登場し、山崎さんが驚いているシーンがあります。


JAPANリニューアル前号

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1993年12月号 激刊山崎より

・読み終わると危険な思想が脳内に湧き出し、次の日から人生を踏み誤ってしまうような素晴らしいロック雑誌にするのだ。どうせ小っちゃいんだ、何をやろうが誰も気にせんだろう。何だか久々に犯罪者のような気分である。

そしてリニューアル巻頭表紙号がこちら

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1994年1月号 表紙

問題の2万字インタビュー号です。

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場末のクロストークより(編集部対談)
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場外乱闘 いぢめvsいぢめ


ここからJAPANでは、
小山田=病弱 フニャモラー   ではなくなり
小山田=いじめキャラ  (=硬派ロック?)
として扱われていくようになります。


翌号

1994年2月号

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場外乱闘

・頭グルグルのミーハー軍団
・小山田をやたらと丁寧に扱っているリポーター
・私は自分の罪をふと思ったのだ


僕こないだのインタビューに少し後悔しているところがあります

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FQAアルバム完成速報インタビュー記事より

「俺また人格プロデュースされてる」

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FQAアルバム完成速報インタビュー記事より

・ロックもロック、ロック界でも超やさぐれたヤクザ人間を表紙に持ってきちゃって


いぢめ&いぢめの再来

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1995年10月号 場外乱闘

1995年11月号

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69⚡️96レビュー
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誰かをイジメるときにどんな技を仕掛けようかワクワクしているような、前代未聞の攻撃性だ。
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「悪意に揺り動かされる男」小山田 「笑いのタネ」を強烈に欲していたのだろう。


1995年11月号 場外乱闘


1996年2月号 場外乱闘

こう見ていくと、コーネリアスのファン層が"頭グルグルミーハー軍団"から"ロック男性ファン層"に変わってきたのかなーと感じます。

1997年7月号

FANTASMA先行インタビューより

・なんかやっぱりウサギ来たら「あっちいけ!」って感じだったじゃん(笑)

「そんなことないですよ。どっちかっていうとエサの代わりにウンコ食わすとかそういう感じですね。ははは。や、僕猫飼ってるし。動物とかいじめたりする人の神経とか全然わかりませんよ。ほんとに」


↑こういう発言を見ると山崎さんの決めつけキャラと小山田さんのリップサービスはあるなあ…と感じます。


中学時代の「うんこバックドロップ」にルーツを持つ小山田独特の辛辣な「いぢめ」が

読者投稿欄


小山田の「いぢめ」に遭ったらどうしよう?

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場外乱闘



rockin'on   2001年11月号


編集長 山崎洋一郎は rockin'on (洋楽誌)に移動していてそちらでコーネリアスのインタビューをしている。
(POINT時はJAPANでも巻頭表紙でインタビューしている。ちなみにそちらのインタビューは鹿野さん。)

POINT インタビューより
編集後記より

・インタビューになると口数が少なくなる小山田くん。でも必殺の攻略法というのがあって、喋らないのをいいことにこっちががんがん決めつけていくと


2006年11月号 JAPAN

sensuous インタビューより

こちらがおそらく最後のロッキングオンでの山崎さんインタビューかなー?と思います。


ここまでロッキングオンJAPANでのフリッパーズギターの頃からの小山田さん記事を振り返ってみました。

ですが、これは私がした切り取りnoteなので、

雑誌原本、インタビュー記事全文読むと印象は変わることもあると思います。

私は全文読んだので、山崎さんと小山田さんの関係に力関係だけでは無い友情があったのも感じます。 
単純に商売だけではない、愛情もあったのではないか…と思っています。



↓Cornelius official より

『ROCKIN'ON JAPAN (1994年1月号)』の誌面にて見出しとして記載され、この度多く報道されていた「同級生に排泄物を食べさせた、自慰行為をさせた」といった内容については、私が行わせたり、示唆や強要をしたといった事実は一切ありません。
「排泄物を食べさせた」ということについては、小学校の帰り道に、クラスメイトの一人がふざけて道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出したという出来事があり、彼本人も含めその場にいた皆で笑っていたという話が事実です。
「自慰行為をさせた」という部分については、中学校の修学旅行の際、ある先輩が、私のクラスメイトの男子に対し、自慰行為をしろと言っている場面に居合わせ、限度を超えた状況に自分は引いてしまったということが事実です。
1994年当時、半生を語るというロングインタビューのなかで、学生時代の様々な出来事を語った際、上記のような目撃談など、強く記憶に残っていたことを語ってしまいました。
『ROCKIN'ON JAPAN』については、発売前の原稿確認ができなかったため、自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているかを知ったのは、発売された後でした。それを目にしたときに、事実と異なる見出しや、一連の行為を全て私が行ったとの誤解を招く誌面にショックを受けましたが、暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えますし、その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当時は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。
しかしその判断についても、被害者の方の気持ちや二次被害の可能性に考えが及んでいない、間違った判断であったと深く反省しています。

【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】より

山崎さんの文章には力がある事を知っています。
かつて山崎さんがフリッパーズギターの解説者としてラジオやテレビにも出演していたのも見聴きしてきました。

ロッキングオン、山崎さんには出てきて言い訳でも良いから事情を話して欲しいなーと、
私は願っています。

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