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彼と僕という簡単な難題【創作大賞…ファンタジー小説部門】


「男と女の違いがわかるか?」
「精神と肉体の違いがわかるか?」
彼は、僕に質問を投げかけた。 彼の質問はいつも決まって、唐突で難題なんだ。 それらの質問が何の脈略もなく飛んでくることは確かなことだが、 でも... 何百年も前から、僕にそう問いかけることを決めていたかのように、 彼の眼の奥底には言葉にできない何か強いものがあるのだ。 そして僕は、その眼を見ては毎回何も答えられないでいる。 黙り込む僕を見ながら、彼は次の質問を始める。これもお決まりだ。
「俺とお前の存在の違いを言える奴はどれくらいいると思う?」
僕と彼の違い...? 何かが少し引っかかった。 まず名前が違うし、それに姿形だって似ても似つかない....。 でも彼が求めている答えとは、こういうものじゃないんだ。
それから僕はいつものように、この唐突な難題を考え込むはめになる。
その間、彼は僕から眼を離さない。
ほんの数分、いや、数秒なのかもしれないが、僕にはこの瞬間が耐えきれない。

そしていつものように、僕の方から眼をそらしてしまうんだ。
そうすると彼は、決まって僕の頭を撫でながらこう言う。
「お前は、キレイだな。」
この時見せる彼の笑った顔を、僕はどうしても好きになれない。 こんなにも物悲しく、儚く、そして美しい... そんな笑い方をする人間を、僕は彼以外に知らないからだ。


僕と彼は同じ家に住んでいる。
決して古くはないけれど、そう新しくもなく、 小さくはないけれど、決して大きくもない。そんな家だ。 僕はこの家をけっこう気に入っているけれど、 彼はこの家のことを「檻」と呼んでいる。 あまりこの家が好きではないようだ。 その理由は、彼が投げかけてくる質問よりも難題なのだろうか...。
僕が好きにはなれないあの笑い方をしたあと、彼は自分の部屋へと戻っていく。
僕はようやく彼のあの眼から解放され、難題をなんとなく考え始める。
そう、「なんとなく」だ。
決して本気で考えることはしない。 頭の隅の方で、ひっそりと彼の言葉を繰り返しながら、なんとなく考える。  だって、もし僕が答えを見つけてしまったら、 彼はもっと悲しく美しい顔で笑う気がするからだ。 僕の勘はけっこう当たるから、これはきっと間違いないだろう。

今回の難題も、実に厄介な代物で...。 僕は頭の隅で、彼と僕の違い、彼と僕の似ているところを並べていた。
そう言われれば、僕と彼は実によく似ている。
一日のうちで一緒に過ごす時間が長いからなのかもしれない。

まず僕らは同じ環境で暮らしている。彼が「檻」と名付けたこの家で。 それから...同じ時間帯に食事を摂る。 彼が僕のおかずに手を伸ばせば、僕も彼のおかずを少しもらう。 一日に一回の食事だ。 その食事の後、僕らは同じベッドで同じように丸くなって眠る。  朝焼けとも夕焼けとも違うオレンジ色のベッドで、 互いの何かを埋めるように、僕らは寄り添って眠る。
 その時にひとつだけ違う点がある。
彼の体は僕の体と違い、とても冷たいのだ。 季節を問わず、彼の体は常に冷たく、僕はそんな彼の体を温める。 それはまるで僕に与えられた仕事であるかのように、 僕は彼の体を温め、彼が眠るのを見届けるのだ。
彼の体が冷たい理由を、彼はあの笑い方で言っていた。
「俺はこころが冷たいからだろう」なんて....。
果たしてそれが本当のことなのかはわからない。 少なくとも、僕はそうではないと思っているけれど、 他の人から見た彼のことを僕はよく知らないし、 彼自身が本心でそう言っているのかも、僕にはわからないからだ。

時々、彼は買い物に出かけた。 彼が買い物に出かけると、僕は彼の帰りが楽しみで仕方なくなる。 それは彼が毎回買ってきてくれるお土産が目当てだからで...。 もっぱらお菓子なのだが、彼の冷たい手から渡されるそのお菓子は 僕のことを想ってくれる彼の温かいこころが詰まっているようで、 実においしいのだ。  そのおいしいお菓子を一緒に食べながら、僕らは無言のまま、 幸せな時間と呼ぶに値するであろう時を過ごすのだ。
それはこの「檻」の中で、 彼が唯一僕に素顔を見せてくれる時なのかもしれない。 そして数少ない、ここでの自由なのかも...。


「檻」と呼ばれるこの家の中では、僕にも彼にも、 自分の生活ペースというものが存在する。 ペースというよりは、ルールに近いかもしれない。  例えば彼は、寝る前に必ず四つのことをする。毎晩、同じ順番で。 まず歯を磨く。次に大量の薬を飲む。その後顔を洗い、最後に煙草を吸う。  これは彼の中でのルールであって、決して順番が乱れることはない。 こんなルールが、彼にも僕にもいくつかある。 乱れることのないルールを持っている、という所は僕と彼の似た所だ。
彼と過ごす毎日を回想しつつ、 彼と僕の違いをいくつか発見はしたけれど...、 彼の質問はこうだった。
俺とお前の存在の違いを言える奴はどれくらいいるか...。
確かに、僕と彼の間で、互いの違いを認識できたとしても、 第三者が明確に僕と彼の違いを述べることはできるのだろうか...。 もちろん、僕と彼という個体が二つ並んでいれば、 その二つの存在を第三者でも認識することは出来る。
でも、彼が言ったのは恐らくそういう意味じゃない。
「存在の違い」という言葉に、僕は引っかかっていた。
例えば、僕と彼が第三者の前に立っていたとする。 その人は、五感を使わずに、 どちらが僕で、どちらが彼か...はっきりと分かるのだろうか。
そしてまた例えば、僕と彼が個々に違う思想を持っていて、 それを無記名で綴った用紙があったとする。それを見た者で、 どちらが彼の思想で、どちらが僕の思想なのかを、 明確な理由を述べて、答えられる第三者は...いるのだろうか。

そして僕は、「なんとなく」気付いた。  彼が唐突に投げかけた三つの質問の答えは...きっと同じだ。
『男女にも、精神と肉体にも、そして彼と僕の存在においても、違いなどなく、それを明確に言える「第三者」も存在しない』

確かに僕は僕で、彼は彼なはずなのに。
確かに僕は男で、彼も男なはずなのに....、
もしかしたら僕がそう思っていただけで、彼は女かもしれない。 僕には彼の性別を、明確な理由を付けて、こっちだ!と答えられない。 それと同じように、僕と彼が別個体で存在しているのだということを、 正確に判断できる第三者はいないのだ。
でも確かに、彼はこころを語り、その冷たい体は存在している。  僕が僕であることを...僕以外の誰が証明できるだろう?
そして、彼が彼であることを...彼以外の誰が証明できるだろう?
彼の難題の糸口を掴んだと思えた矢先、彼は僕にこう告げた。

「俺はこの檻を出る。そして、俺とお前の存在の違いを、一体何人の奴が答えられるのかを確かめに行く。」と.............。

そう言ってまたあの笑い方をした。
いつものあの笑い方をしたその眼には、いつもと違うものが映っていた。
それは今まで以上に物悲しく、切なく、そして見たことも無い程、美しいものだった。

僕はまたしても何も言えずに、彼に背を向けた。
彼に背を向けたのは、これが僕のルールだからで...。  
掴んでいた糸口さえ...何一つ言えないままに....

彼に背を向けた僕の眼からは、涙がそっと流れていった。

そして彼は、いつものように冷たい手で、 いつものように優しく、僕の頭を撫でた。
 「お前はここで幸せになれ。」なんて言いながら.........。


彼がこの「檻」を出ていく。
それは彼のルールに初めからあったことなのだろうか。
どちらにしても、僕には何もわからず、 彼はもうじきこの家を出て、僕から離れていく。
それは僕にない勇気と、強さと、弱さで...、 明らかに僕と彼の違いを示していた。
もちろん、それを認識できるのも、彼と僕の二人以外、誰もいないのだが。

僕らの過ごした時間の中で、彼は僕に何を言いたかったのか、本当のところはよくわからない。
ただひとつ、たったひとつだけ、
僕にも、彼にも、そして第三者にも分かる
僕ら二人の大きな違いがあった。

彼が「人間」と呼ばれる存在で、
僕が「ねこ」と呼ばれる存在だということ...。

きっと彼は思っているんだ。 僕と彼の存在に、それ以上の違いなんてないんだってことを。 第三者が勝手につけた違いしか、僕らの違いはないのだということを。
そんな難しくて、簡単なことを、 一体どれだけの者が答えられるだろう....。

「人間」だということを背負い、旅立つ彼のその先には、 また新たな難題があって...。
彼がいなくなることで、恐らく僕にも簡単な難題は増え続けるのだ。


今度から彼は、その難題を誰に投げかけるのだろう。 そして、その冷たい体を、誰に温めてもらうのだろう。


 僕ではない、誰に.....  
     そう、僕ではない、ダレカに。


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