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13日の金曜日が、はじまりの合図でした

不思議な話を聞いて想像力をふくらませるのは、決まって第三者である。不思議を経験した当事者は、ただただ茫洋とした表情であいまいな記憶を探るばかりだ。

万城目学「ザ・万歩計」

来たる春で、この街に住んで丸15年が経ちます。途中、新婚半年ちょっとを西宮で暮らしたけれど、あれこれ縁に恵まれて、この地に舞い戻って来ました。大学も会社も甲山にほど近いので、来る日も来る日も、あずき色の電車に乗って、東へ西へ、えっちらおっちら。

父の転勤で、小学校から高校までの12年間を、横浜で過ごしました。スカートを折ってルーズソックス履いて女子高生してたわたしが、どうして両親の出身地(神戸)に近い大学に進んだのか。高校の同級生で、関東から出たのは、わたしと3人くらいでした。3人は、美術系や医学部で狙って進んだクチ。対して、わたしは、あれよあれよと、流されて。

ほんとうに、「あれよあれよ」という表現がぴったりな展開でした。2000年9月下旬、わたしがまったく受けるつもりのなかった、応募期限ギリギリの推薦入試を偶然見つけた父(その大学も受かったのだけど、家の懐事情により公立大学卒)と、謎のテンションで「受かったら(冬期講習&受験代が浮くから)ロレックス買ってあげる」と口走った母と、降って湧いた推薦受験話に親身に対応してくださった先生方と、ブランド物に憧れてやまない女子高生(わたし)で、ドリームチームを結成。毎日が文化祭直前な3週間を過ごし、10月13日金曜日、「合格」が届いたのでした。

いま振り返っても、あの13日の金曜日が、人生の転機だったと思います。神戸に来てから、運気が上々なので。友だちとは今も続いているし、早々に彼氏(現・夫)ができたので恋愛をこじらせることもなく、就活は手こずったけど、新卒で入った会社に10年辞めずに勤めているし、家の目の前に公園があるし、ママ友やご近所さんにも恵まれてるし、なんといっても、ひよこがかわいい。

あのとき、もし「いや、わたし、立教に行きたいんだし」と推薦の推薦(?)を断っていたら、もし記念受験的モチベーションで臨んでいたら、ぜんぜん違う人生が待っていたわけで。そっちはそっちで楽しかったと思うけど、わたしはこっちを選んで満足です。

人は、選択肢の中でしか生きられないから、選んだ一択を肯定できるその後を歩みたいし、夫やひよこが選択肢を増やしたり選んだりするときは、引っ張らない・阻まない妻なり母で在りたいです。

今日は夫の実家に泊まるので、次は明後日書きます。

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