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夜中に「ちゃんと」を、換気扇掃除で。

それまで半年ごとにしていたのが、ほぼほぼ2年ぶり。先週土曜日の22時、開かずの換気扇をご開帳しました。

晩ごはんの洗い物を終えて、流し台を拭いたら、隣のガスコンロのくすみが目について。出でよ、劇落ちくん。くるくると磨いてコンロがツヤを帯びたころ、ふと見上げると換気扇フィルターも残念さを醸している。出でよ、セスキ炭酸ソーダ。フィルターの皆さんをビニール袋にお迎えし、セスキ浴で垢を落としていただく。彼らがセスキ水に浸かってたぷたぷし始めると、むき出しの換気扇の奥から、あの方がものすごい存在感を放ってきたのです。

換気扇のファン。ひいぃぃぃぃぃ。ごめんなさいごめんなさい。丸2年、音信不通ぶってごめんなさい。はい、そうです。その通りです。「忙しくてできなかったんだよ」なんてウソです。ばっちりスマホ片手にYouTube観てゴロゴロしてました。見て見ぬ振りしていました。だって、恨みごと言うやん。「わたし、待ってたんだよ。ずっと待ってたんだよ」って。「なんで連絡くれないの?」って。ぜったい言われると思うやん。わかるよ。実際には言わないんでしょ。気にしてないふりするんでしょ。「うん、こっちもいろいろやることあったから大丈夫」とか言うんでしょ。そうでしょ。わかるよ。わたしも10代のときそうだったから。待つ側だったから。あの頃、1ヶ月半の長かったことながかったこと。それが今や2年も平気で待たせちゃうからね。社会人って忙しいよね☆

やるべきことから逃げ回り、言われてもいない恨みごとをエア発電して反芻して、自分で自分をこじらせる。そのアホさを噛み締めながら、申し訳なさのぶん濃度高めのセスキ水をビニール袋に溜めて、ファンに浸かっていただきました。お背中を流したら、使い古しの歯ブラシ3本分の油汚れが。ようもベトベトといろんなものがまとわりついた身で、毎日毎日、健気にまわってくれてありがとう。

22時に見切り発車で始めて、この写真を撮ったときには時計はとうに0時越え。年貢を納めた爽快感で、ビールの1本でも開けたい気分だったけれど、時刻が時刻なので自重しました。発車前に晩ごはんでビールと日本酒しっかり補給してたし。

それにしても、ほろ酔いでこじらせのタガが緩んでいたとはいえ、どうしてこの夜に限って、あっさりアクセルが踏めちゃったのか。

思い当たるのは、料理家&紅茶家の友人3人が組んだユニット「話茶和茶(わちゃわちゃ)」。彼女たちが主催のお茶会に行ってきてたんです、午後に。この会のために創作された和スイーツをほおばりながら、何種類もの紅茶を淹れてもらい、しゃべくる。畳のやわらかさ。ちゃぶ台の真ん中には、選ばれしご当地お茶菓子。すりガラスの窓から射し込む、明るい陽。満たされました。おなかも、こころも。有り体に言って、元気でた。

丁寧にこしらえられたものを、いただく。丁寧なもてなしを、受ける。与えてもらった丁寧さって、それがそのまままるごと、心身の滋養になるんだなぁと、ホクホク家路につきました。

あと、紅茶家(という言い方が正しいかどうかはわからない。ティーインストラクター)の友人が言うには、おいしい紅茶の淹れかたって、いかに「ちゃんと」するからしくて。茶葉をちゃんと量る、時間をちゃんと計る、カップをちゃんと温める。「とりあえず」そこらへんのスプーンで茶葉入れて、「なんとなく」3分くらい経ったかなってところで、慌てて棚から出したマグカップに注いで、それで「おいしく淹れられないんですぅ」とかおバカ丸出しでした、わたし。

そういうわけで、なんしか「ちゃんと」することで機嫌を自家発電したくなった模様。

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