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モノを失くしたときの、気の持ちよう

(みんなは)あー何かお経を唱えてるなー、ぐらいに思って聞き流しててくれればよかったってだけの話で、ただ俺らには、そのお経を唱えるって手続きがどうしても必要だったってこと。

乾くるみ「リピート」

昨晩、2年半愛用していた萬古焼のご飯鍋の蓋を、割りました。洗って、スツールの座面に立てかけて干していたのを、落としてしまって。つい先週は、土鍋の蓋を割ったのでした。19歳の冬、彼氏(現・夫)とはじめて鍋を囲むために、コーナンで買った安ものの土鍋。洗って、勝手口のドアに立てかけて干していたのに、うっかり勝手口を開けてしまい、そのままベランダに落ちて、パリンと。いつもの置き場がふさがっていて、とりあえず、で置いた結果の惨事。

こういうとき、もちろん自分の不注意に落ち込むものの、わりにすぐ気持ちを立て直せられるのは、小さいときからの母の刷り込みの賜物だと思います。そのモノが厄を引き受けてくれて、そのためにそのモノとはそこで別れる巡り合わせだった、的ニュアンスで、母はよく「そういう満やってん」と言うんです。母と祖母以外に、そんな言い回しをする人に会ったことがないし、ググってみたけど方言でもなさそうだから、母と祖母とそのまた…だけに代々伝わるオリジナル語かもしれません。

去年、かくかくしかじかで玄関のカギを取り換える目に遭って、諭吉6人がパタパタと飛び立って行きました。夫は「クソ!」と憤っていたけれど、わたしは、誰かの心身が傷ついたわけでも、何かを盗られたわけでもなく、後腐れもなく、むしろ諭吉6人で厄を落とせたならラッキーやったやん、と。

モノにはこんなふうに殊勝な心構えでいられるけど、人にこう言われた/ああされた、に対するライフハックは母から伝授されていません。余裕で一昼夜悶々とできます。30年以上地層のように積み重なった業は、なかなか雪解けしませんね。

明日は、親知らずを抜いた話か、ライカビリティの話か、ひよことYoutubeの話を書くつもりです。

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