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「いつまで元彼と遊んでるんや」問題と、その解

今週、WEB天狼院に「チャレンジ投稿」した文章は、掲載NGでした(泣)。NG理由は末尾につけています。友だちへのエールを、ここに成仏させてください。

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「元彼――いまや完全な友だちやねんけどね――と飲みすぎて、翌日、二日酔いで会社を午前半休してもてん」

女友だちのそんな発言に、わたしは「お、おぅ」と応えるほかない。恋愛経験値が低いから。30年以上生きてきて、歴代彼氏はたった2人だ。1人は、高校時代の、ひと夏のなんちゃら。もう1人は、大学1年生のときからの付き合いになる現・夫。「友だち」になった元・彼氏もいなければ、元彼と飲んだくれた経験もない。ドラクエで云えば、ドラキーレベルの経験値。

とはいえ、ドラキーにだって、想像力はある。ドラゴンの宴について、イメージしてみる。至極愉しいだろうな、と思う。

「久しぶり」「最近どう?」「こんなことがあってんけどさ……」「マジで!?」「ええやん、めっちゃええやん」「あー、それはナイよなぁ」「わかるわー!」エトセトラ、エトセトラ。

話は尽きない。相手は、別れた後でも「話をしたい/聞きたい」人だ。お酒を何杯もおかわりするくらいだ。そもそも、お互いが「自分、おもろいやんけ」と思っていなければ、「飲みに行かへん?」「ええよ」は成立しないはず。仮に成立したとしても、一方または双方の「こいつ、しょうもな」の心の声により、早々にお開きになるだろう。(一方が実は「誰よりも好きなのに」(古内東子)のパターンもあるかもしれないが、ドラキーのスペックではいよいよ見当がつかないので、ここでは考量しない)

「おもろいやんけ」に時間を費やしてしまう衝動、それは、わたしにも分かる。「あるある!」と頷くあまり、首がもげそうだ。

今朝、なかなか起き上がれなかった。頭は覚めていたし、目も開いていたのに、布団にごろんと横になったまま2時間近く過ごしてしまった。スマホでひゅいひゅい、ネットの森に出かけていたのだ。このメディアグランプリに参戦されている方々の文章。SNSのタイムラインと、そこで見聞きしたWEBサイトやブログの記事。ブックマークしているWEBサイトやブ……(以下略)。石を投げれば「おもろいやんけ」に当たる、素晴らしき哉、ネットの森。元彼と違って、ネットはやさしい。こちらの甲斐性――「おもろい」のか「しょうもない」のか――によらず、次から次に話を聞かせてくれる。それにかまけて、際限なく歩き回ってしまう。

気の向くままに散策を続けていると、ちょくちょく、おばけに出くわす。突然、べろべろばぁっと現れ、ドラクエのゴーストのように舌を出して嗤うのだ。そして、「それしてる場合か?」とひと言放って、すたこらさっさと森に消え入る。

最初は呆気にとられる。「ほんまや」と我に返り、森の入り口に引き返そうとする。でも、そのそばから次の「おもろいやんけ」に出会ってしまうのである。以降、何度かおばけの襲撃に遭っているうちに、耐性がつく。「あー、はいはい、おばけね」と取り合わなくなる。加えて、引き返すよりも、森を抜けた方が外に近いのではないかという気がしてくる。おばけとて、わたしを想って言っているのではない。おちょくっているだけなのだ。だから、一度こちらが「おばけ乙」の身構えになると、彼らは出てくる甲斐がなくなる。鉢合わせても「ゴーストは にげだした!」で戦闘終了。

でも、本質的に、おばけの言っていることは正しい。往々にして、「それしてる場合」ではない。時は金なり。今朝だって、このメディアグランプリに投稿する記事を書くつもりだった。それが、ネットの森の散策に興じた結果、今こうして、〆切時刻までの帳尻合わせに必死のパッチである。

森を歩き回っていると、種がたくさん見つかる。話のネタの種。誰か――または、あの人――と交換したくなる。でも、交換するには、育てないといけない。発芽させてみて、咲かせてみて、まず自分で「おもろい」「しょうもない」を確かめるのが、大人のマナーである。みんな、そんなに暇じゃない。種を種のまま「こんなん見つけまして。てへっ」と出したら、「こいつ、しょうもな」でジ・エンドだ。

育てるには、「試行錯誤」という名の手間がかかる。試行錯誤して花が咲いたとしても、交換の段で、「しょうもな」と切って捨てられる怖さもある。「自分、おもろいやんけ」と扱われたい。話し甲斐のある人間だと思われたい。そのリターンは得られないが、少なくとも「こいつ、しょうもな」側に落ちない策がひとつある。交換しないこと、だ。

「自分、おもろいやんけ」ともてなされるうえに、好みを押さえた花々が手元に届く元彼との宴。こちらが何も差し出さなくても、大きな「おもろいやんけ」の木の下で、自由に種を拾わせてくれるネットの森。そりゃあ、居着いてしまうわ。

でも、やっぱり、出ないといけないのだ。「顔と顔 寄せ合い 慰めあったらそれぞれ 玄関のドアを1人で開けよう」(globe「FACE」)なのだ。元彼がくれた花も、ネットで拾った種も、そこで交換を断ち切ってはいけない。時制として「未来」に活きない「おもろいやんけ」は、つまるところ、時間泥棒だ。女30代、時間泥棒に遭っている暇はないのだ。

幸せになるために。自分で自分の人生を操縦するために。

なんとか〆切までに、この記事を書き上げられた。件の女友だちは、発破をかけてきた別の友だちと連れ立って、今ごろ婚活パーティーに繰り出しているはず。

なんでもいいのだ。「しょうもな」を恐れる心をあっち向いてホイでよそ見させて、まずは差し出す。交換する。それが「未来」をつくる。

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いやー、残念!テーマも出だしも面白かったんですがね、最初のタイトルのテーマで突っ走っていただければ、いいコンテンツになっただろうと思います。

天狼院店主・三浦さんからいただいたコメントです。話とっちらかりすぎってことですね。ぬーん、反省。昨日あんなことを書いてなければ、いじけてくじけて次回はフェイドアウトしていたかも。ですが、書いてしまった手前、これを糧にまた来週がんばります。書いといてよかった(笑)。

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