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黒豆と、金柑と、高野豆腐と

しかし、時には型にはまった幸せも良いと、我々は呟いたこともあったのではないか。

森見登美彦「太陽の塔」

去年の秋から祖父が入院していて、月に4日程度、母が(祖父というよりむしろ祖母の)ご機嫌伺いに神戸に来ています。今月も、月曜日に来て、昨日の夜に新幹線に乗り込みました。

寝泊まりは祖父母宅でしている母ですが、我が家まで歩いて5分の距離なので、お昼のあいだに家に来て、洗濯物をたたんでくれたり、台所におかずを置いておいてくれたり。座敷わらしならぬ、座敷おばあ。

火曜日は、わたしがひよこを家に連れ帰ったところに、揚げたてほやほやのカキフライを届けてくれて、ついでにしばしひよこと戯れてくれました。「ひよぽんは明日はなに食べたい?」と尋ねる母に、ひよこの答えは、「くろまめ(の炊いたん)と、きんかん(の甘煮)と、こうやどうふ(の炊いたん)!」

完全に、お正月気分を引きずったラインアップ。だけど、ひよこはちゃんとわかっていて、その選択のかしこさに、わたしはおののきました。黒豆も金柑も高野豆腐も、わたしがつくるよりも、ずっとおいしい。ひよこの舌が「おばあちゃん(&ひいおばあちゃん)の味」として記憶してくれて、とてもうれしい。

わたしにとって「母の味」は、餃子とグラタンと牛すじカレーなのだけど、黒豆と金柑と高野豆腐て。母が「おばあちゃん」になったことを今いちど感じ入るエピソードとなりました。

(ヘッダーの写真、なぜ、黒豆と高野豆腐のならびを逆にしなかったのか。撮り直そうにも、おめざとして、すでにわたしのお腹のなか。かといって、「高野豆腐と金柑と黒豆」じゃ据わりがわるいし。くぅー!こういうツメ、詰めていきたいです)

明日は、お雛様の話か、ナノケアスチーマーの話か、コーヒーの話を書くつもりです。

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