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運の良し悪しは、解釈次第

「毎年、連続5日間(と言いつつ分割可)、休暇を取りましょう」なる「フレッシュアップ休暇」という制度が会社にあって、今日から3日間、その前半戦です。家の中を片づけたり、美容院(いまだに恥ずかしくて「ヘアサロン」って言えない)に行ったり、銀行で住宅ローンの繰り上げ返済の相談をしたり、映画館で「ズートピア」と「海よりもまだ深く」を観たり、ベッドに寝転がって本をゆーーーっくり読んだりしようと企みながら、でも、月・火と仕事が忙しなくて美容院と銀行の予約もしていないまま、映画の時間も調べないまま迎えた今朝6時、母から電話が。

去年の秋から入院していた母方の祖父が、亡くなりました。80代半ばを過ぎた数年前から食が細り、ゆるやかに身体が生を閉じようとしていたところ、足を骨折して、入院して、そのまま一度も家に帰ることなく、2016年6月1日水曜日明け方4時、息をひきとりました。

明日お通夜、明後日お葬式です。わたしの実質ノープランだった3連休に、どんぴしゃ。ごくごく近親者だけの家族葬で、喪主は叔父がつとめますが、わたしもお客様然とはしていられません。気忙しい母の「猫の手」になって、借りたそうな素振りを察して、カリカリカリと掻くのが役どころです。

思えば、父方の祖母が亡くなったときも、どんぴしゃでした。あれは、わたしが高3の1月。本来なら大学入試直前で、受験生として最後の追い込みの時期のはずだったけど、秋口に持てるだけの運を使って推薦入試で合格してたので、「長男の嫁」な母から容赦なく「猫の手」の洗礼を受けました。

母がもってるのか、わたしがもってるのか、はたまた祖父母の時機の見極めがすばらしかったのか、因果関係はその有無を含めて分かりませんが、実績として、「猫の手」は「ちょうどいいとき」に召喚されます。余暇がつぶれるのはそりゃ惜しいけど、休暇明けで忌引きとか、本番直前の思考の乱れとかで「詰んだ……!」ってなるのに比べたら、断然乗り越えられるもの。

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