【雑感】年賀状


何年か振りに年賀状を書いた

小中高と学校が一緒で、その後も付き合いのあった仲の良い友人がいる。お互いに結婚して子供ができて何だかんだで会う回数が減り、そのうち連絡も取らなくなった。年賀状のやりとりだけが続いたが、それもなくなった。連絡は取らなくてもまあ元気でやっているだろうと思っていた。

(あ、この文章の流れだと死んじゃってる感じだけど、大丈夫、生きてました。)

まあそんなこんなで、心のどっかに引っかかりつつ十数年経った昨年末に、突然その友人から電話がかかってきた。特に何かあったわけではなく、古い連絡帳にあった携帯番号にかけてみたんだそうだ。ちゃんとMNPしていて良かった。

私はシスヘテロとして生きてきたけれど、同姓の親しい友人に抱くこの感情は何だろうと昔から思っていた。異性に抱く恋心に近い感情。電話の声を聞いて、名乗らずともすぐに誰かわかった。

音信不通だった間、私の生活も随分様変わりした。驚かせては悪いと、訊かれてもいないのに会わなかった間の話をした。数年前に離婚して今の場所に転居して云々。そうか実は、と言って友人も近況を話したのだが、奥さんと死別していた。驚いた。

電話の後少しして、2人の地元で会った。皺も白髪も増えていたがそれ以外は左程変わっていなかったのでホッとした。自分は友人の目にどう映っただろう。

昔からある居酒屋に行って話をした。悲しい話にもなったけれど、概ね楽しく話ができた。友人は、会うまでは緊張したと言っていたが、会ってしまえばそれまでの十数年がなかったかのように過ごせる。音信不通は褒められたものではないが、親しい友人との関係とはそういうものだろう。

十数年前はパソコンも携帯も拒否していた友人だったが、今はスマホも持っているし、ネットショッピングなどもするようになったんだそうだ。買っているのは中古アナログレコード。今時は地方の小さな中古レコード屋でも、現地に行かずとも試聴までできて、ポチッとクリックひとつで買えてしまうと、よく聴いているラジオのパーソナリティが言っていた。

若い頃は、消息は知らんがあいつも元気でやっているだろう、で問題はなかった。今の息子がそんな感じだ。ところが、初老にさしかかり、友人の例で思い知ったが、グズグズダラダラしていたらもう会えないなんて事が普通にあるのだ。反省した。
まあとはいえ、いきなりテキパキサクサクと180度変わるのは無理なので、とりあえず年賀状を書いてみた。何年振りだろう。干支一巡は楽に書いていないはずだ。
なんて自慢げに書いているけれど、お返事だけね。まずは今日まで見捨てずに賀状を送ってくれた人たちに返信した。ここからリハビリを続けて、連絡マメオに、さてどこまでなれるだろうか。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?