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一体殿堂に何が起きたのか?

1月14日に日本野球殿堂入りした3名が発表された。

競技者表彰のうち、監督・コーチ経験者らが対象の「エキスパート部門」は、阪神、西武で活躍し、ダイエー(現ソフトバンク)で監督を務めた田淵幸一氏(73)が選ばれた。アマチュア野球関係者などが対象の特別表彰では、元慶大監督の故前田祐吉氏と元早大監督の故石井連蔵氏が選出された。

田淵幸一氏の「功罪」?

田淵氏は史上空前の「豊作ドラフト」として有名な1968年に法政大から阪神タイガースの1位指名(全体3位指名)を受けた強肩強打の名捕手である。

(同じ年のドラフトには、広島東洋カープ1位:山本浩二氏、中日ドラゴンズ1位:星野仙一氏、阪急ブレーブス1位:山田久志氏、同2位:加藤秀司氏、同7位:福本豊氏、東京オリオンズ1位:有藤通世氏、西鉄ライオンズ1位:東尾修氏らが指名・入団した)

田淵氏は現役通算16年間で1532安打(歴代115位)474本塁打(歴代11位)1135打点(歴代30位)で打率.260/出塁率.361/長打率.535を記録したレジェンド中のレジェンドだろう。

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守備面が重視される捕手でありながら、474本塁打をマーク。打数は5881しかない。12・4打数に1本という本塁打率は、400本塁打以上で王さんに次いで2位。

にも関わらず、田淵氏は1984年の引退以来、実に35年間も殿堂入りできず不遇をかこった。

田淵氏の殿堂入りが遅れた理由として、監督時代の失敗を挙げる人が多い。

彼の殿堂入りが遅れたのは、ダイエーホークスの監督時代(1990~92年)の失敗が影響しているからだろう。6位、5位、4位-3年間で得た教訓は「オレは監督に向いていない」だけだった。

田淵氏は1984年までプレーしたため、引退5年後の殿堂入り選考に挙がった1990年から福岡ダイエーホークスの監督を3年間務めたが、当時は「野武士集団」であったホークスをOBでもない田淵氏が手綱を締めて率いることは難しかった。

西武時代に学んだ広岡達朗監督流の指導法を押し付けたことも選手たちから不評を買った。

監督時代の田淵氏は確かに「罪過」かもしれないが、選手時代の「功績」をその「罪過」は減じてしまうものなのだろうか。
選手としての「功績」と指導者としての「罪過」はすべからく独立すべきものである。
どれだけ指導者としての「功績」が無く、「罪過」ばかりだとしても、選手としての「功績」が曇るはずは無い。

選手・田淵幸一氏の傑出度とは?

竹下弘道氏のブログによると、選手・田淵氏のRCWINは歴代18位に位置する。

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田淵氏より上位で殿堂入りしていない選手は、昨年引退した阿部慎之助氏を除くとタフィ・ローズ氏だけである。

捕手としては野村克也氏(歴代2位)、阿部慎之助(歴代7位…昨年引退)に次いでおり、古田敦也氏(歴代23位)や城島健司氏(歴代30位)よりも上に位置している。

ここには含まれていない守備得点で、田淵氏が捕手として如何に傑出しているかを見てみよう。

先ほど挙げた古田氏がやはり歴代1位で、城島氏は歴代5位、阿部氏は8位と続き、田淵氏は44位に位置している。

捕手守備得点

「では野村氏は何位なのか?」と疑問に思われるだろうが、実は歴代105位に位置し、驚く莫れ守備得点はマイナス9なのである。

つまり選手・田淵氏は打者として歴代20傑に入る強打者でありつつ、捕手として突出して優秀な守備力ではないものの、平均以上のものは持っていたと言えるのだ。

そのように稀有な選手が1990年の初回殿堂選考から数えて、実に31年目で漸く殿堂入りの栄に浴したというわけだ。

そんな田淵氏と同等の強打者であったタフィ・ローズ氏は今年も殿堂入りを逃している。

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ローズ氏はNPB通算13年間で1674試合出場し、打率.284、464本塁打、1269打点を記録。本塁打は歴代13位、打点は同20位と堂々の大記録で、外国人選手では本塁打歴代1位、打点2位と文句ない成績を残している。
実績を見れば歴代最強助っ人と呼んでもいいローズ氏だが、これで5年連続で落選となっている。そんな中、米スポーツ専門メディア「ジ・アスレチックス」のトレント・ローズクランズ記者は自身のツイッターで「タフィー・ローズが彼に相応しい敬意を得られていないことを知るのは、残念なことだ」と落胆の声を上げている。

外国人選手ゆえに「後回し」にされているとするならば実に残念な結果である。
1960年に初めて競技者として殿堂入りしたのは、唯一ヴィクトル・スタルヒン投手であったというのに…。

高津臣吾氏は優秀なリリーバーなのか?

今年から東京ヤクルトスワローズの監督となった高津臣吾氏もまた僅か7票差で殿堂入りを逃した「レジェンド」である。

高津氏は野村・若松両監督時代のスワローズ「黄金時代」を支えた鉄腕クローザーである。

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2004年からメジャーリーグに挑戦し、1年目はシカゴ・ホワイトソックスでもクローザーとして19セーブ、防御率も2.31と活躍した。
翌05年は結果を残せなかったが、古田監督のヤクルトに復帰し、NPB実働15年間で通算286セーブ(当時歴代1位、現在も岩瀬仁紀氏に次ぐ2位)を記録した。

では高津氏がどれだけ傑出したリリーバーだったのか、竹下道弘氏のブログよりリリーバーのRSWINランキングを見てみよう。

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歴代1位はまだ現役の藤川球児氏で、鹿取義隆氏、岩瀬仁紀氏、豊田清氏、佐々木主浩氏と続く。

上記の中で殿堂入りしているのは佐々木主浩氏たった1人だけである。

では高津氏は何位に位置しているかというと、44位である。

ここまで低評価である理由は藤川球児氏ら現役投手に比べると奪三振率が低いからではないかと思われる。(藤川氏:11.76/高津氏:6.99)
また投球回数も761.1回と決して多い方ではない。

そもそもリリーバーは先発投手に比べると投球回数が少なく、RSWINのような積上げ系の指標で不利になってしまう。

アメリカの野球殿堂でも先発投手は65名も殿堂入りしているのに対し、リリーバーは僅か8名に過ぎない。

メジャーリーグよりもリリーバーの定着が遅かったNPBにおいて、上記リストで佐々木氏しか殿堂入りの栄に浴していないのは仕方ないのかもしれない。

佐々木主浩氏と並ぶ殿堂入りリリーバーとは?

先ほどから「上記」と書いているのは、ランキングでは先発登板の比率が20%未満という基準を超えているためリストから漏れてしまう投手もいるからだ。

リリーバーで佐々木氏ともう1人殿堂入りしている投手が「炎のストッパー」津田恒美氏だ。

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津田氏は広島東洋カープの「黄金時代」に活躍したストッパーであるが、現役時代の1991年に悪性の脳腫瘍を発症し、2年後に32歳の若さで亡くなった悲劇の投手である。

津田氏のRSWINはというと、高津氏の4.16よりも高い4.55である。

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RSWINが4.55となると、リリーバーのランキングで暫定39位に位置するはずだ。

高津氏の奪三振率は6.99であったが、津田氏はそれより少し高い7.04であった。
また津田氏は実働10年と選手生命が短かったが、2年目まで先発として起用されており、投球回も693.0回と多かったこともRSWINが相対的に高い理由なのかもしれない。

そんな津田氏は没19年後(2012年)に殿堂入りを果たしたのだが、その時賛否両論があった。

スポーツ報知記者の蛭間豊章氏が当時のブログ記事を再掲している。

津田は病に倒れなければもっと素晴らしい成績を残していたかも知れない。この点、それでは戦争で亡くなった選手は、という疑問があるかもしれないが、それとはちょっと違う。個人的な見解として競技者表彰はグラウンドで残した成績を第一に選んでいる(外国人選手にはやや偏見があるが)。それを考えると通算286試合登板で49勝41敗90セーブは物足りないと思ったからである。今回は表彰の候補として最終年だったことで滑り込んだ感があるが、同じように今季最終年だったOBにはブーマー・ウェルズ、田尾安志、高橋慶彦、新井宏昌の各氏らもいた。いずれも長い期間プロ野球でプレーし、ファンを魅了してきた。

私は津田氏が特別表彰として殿堂入りするのであれば良いと思うが、競技者表彰としてはもっと先に殿堂入りすべきリリーバーが大勢いるだろうと考えている。

そして高津氏もまた津田氏同様に論争を呼ぶべき成績に止まっていると考えるが、そのような風向きは感じられない。

野球殿堂の選考基準とは何か

殿堂入りすべき選手はどのような基準で選ばれているのか。

公益財団法人野球殿堂博物館の「表彰委員会規程」には次のように書かれている。

第11条(選考の要件)
競技者表彰委員会は、候補者の中から次の要件によって野球殿堂入りの選考をしなければならない。
(1)野球試合を通じて表現した記録が所属倶楽部又は野球の発展に貢献した程度によって選考しなければならない。
完全試合の投球、未曾有の長距離本塁打等の単一競技をもって自動的に野球殿堂入りとして推薦してはならない。
(2)スポーツマンシップ、誠実及び観衆に与えた魅力に着目して、野球殿堂入りを選考しなければならない。

このように明文化された基準があるにも関わらず、とある「スポーツ紙のベテラン記者」は野球殿堂の選考基準が不明瞭であると語っている。

「毎年11月になると、NPBから投票用紙と候補者リストが送られてきます。そこには、『単に本塁打や勝利数だけで選ばないでください。野球界に貢献しているかを考慮してほしい』という趣旨の但し書きがあるくらいで、選ぶ基準は曖昧というか、存在しない」

「完全試合の投球、未曾有の長距離本塁打」という一度限りのプレーだけで選んではいけないというのは納得できるが、さらに「本塁打や勝利数」だけでも選んではいけないのだという。

私も「本塁打や勝利数」だけで殿堂入り選手を選んではいけないと考える。

「野球試合を通じて表現した記録が所属倶楽部又は野球の発展に貢献した程度によって選考」するのであれば、それはその選手がどれだけ勝利に貢献したかを最大の基準にすべきではないか。

その点でキャリアの半分以上を捕手として過ごした田淵氏の通算474本塁打は、守備負担の大きい捕手としては傑出した記録であるし、常勝チームで稼いだ通算286セーブという記録だけでは高津氏が殿堂入りに値するとは思わない。

一体殿堂に何が起きたのか?

セイバーメトリクスの創始者であるビル・ジェームズ氏は、アメリカ野球殿堂のベテランズ委員会が情実によって分不相応な選手を殿堂入りさせてきたと批判した。

それを告発した本のタイトルが『一体殿堂に何が起きたのか?(原題:Whatever Happened to the Hall of Fame?)』である。

日本の野球殿堂においても、津田氏のように情実で殿堂入りした選手がいる一方で、田淵氏のように真っ先に殿堂入りすべき選手が門を閉ざされていたのだ。

では誰が殿堂入りすべき選手なのか?という問いに対して、容易に答えることができない日本野球界の構造的な問題を次回は取り上げたいと思う。(続く)

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