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予期せぬ生存確認?

関わった事のない市の福祉保健センターから茶封筒が届いた。

「え?○市??」
何度か引っ越しをした事はあるけれど○市に住んだことはないし福祉保健センターから届け物なんて不思議でした。

それでも宛名は私宛なので早々に封を切ると中には2枚の紙があり
記憶には残っている氏名が書かれていました。
それは、私の父だった人の名前

母と父は、私が小学生の頃、離婚をしました。
それからは片手で足りるくらいしか会っていないと思う。
喘息で入院した時に一回、私が部屋を借りる際に未だ10代だったので保証人が必要となり
母と喧嘩をして飛び出してしまった(家出😅)私は、母に頼むのが嫌で、その人にお願いをした。
公衆電話で電話をかけ(逢いたいとは思っていなかったから)郵送でと伝えたら

『物を頼むなら直接来て頭下げてお願いしろ』
そう言われ、それまでの事もあるから
「は?何様??」
未だ若い私は頭の中はブチ切れていたけれど、保証人が居ないと部屋を借りれないっ
その時は、言いたいことも言わず我慢に我慢を重ねて、お願いしに行った。

それ以来、私から連絡することはなかった。
その人からも連絡が来ることもなく
その名を見るのは戸籍を取る時だけ。それも、もう何十年も前の話。

今の生活になってから全く名前を目にする事も無かったし
生きているのか死んでいるのか?
それも、気にもせずに過ごしていました。

開いた紙には【扶養援助のお願い】とあり、その人の名前…そして備考として担当の方からでしょうか…?
《…お父様からは連絡はしないで欲しいとずっと言われていましたが、お父様のご兄弟が亡くなり、どなたも緊急連絡先になっていただく人が居なくなりました。お手数ですがご返信ください》
っと書かれていました。

紙面には他に回答して頂きたい事の項目と生活保護法やら民法やらの記載がありました。

読み終えて私の第一声は「生きてたんだぁ。はぁ?何??」でした。

扶養義務者だの子としての義務だの…
その人は母と離婚する際に定められた養育費10万円(今とは物価が異なると思うけれど義務教育中の子供3人でこれだけ)
それですら『3回しか振り込まれてこなかった』と、私が成人し随分と経ってから母から聞いた話。

今だったら法的に何かしら母を行動させることが出来たけれど
子供の私には、知る由もなく


そんな人間の名前の書類が届き
行政だから仕方のない事だろうけれど、子としての義務とか援助だとか冗談じゃないっっ

直ぐに母に連絡をしました。
そもそも何故ここの住所がわかったの?って思いましたが、まぁそれは行政のやり方では簡単なことなのでしょう。
母に話をすると、未だ私にしか届いていない様で、書面の内容に『情けない』っと。
(その後、私の姉、弟にも届いたことがわかりました)
私でさえ生きてきた時間の半分も、その人との関わりがありません。
母だって聞きたくもない名前だと思います。
ましてや、こんな事例で。

そんなで母と何十年ぶりに、その人の事を話し
書面に書く返答も確認してもらい、書類を封筒に入れ早々にポストに投函しました。

私の返答は…
逢っていない理由には
《父としての定められた義務を果たしておらず、関係性についても既に破談している為》
援助できない理由には
《自身の生活も精一杯のため援助することは出来ません》とだけ書きました。

語彙力がなく言葉が足りていないかもしれませんが、これで充分と思いました。
私としては、こんな時間でさえ無駄なのです。っと言うより嫌な時間です。


そんな訳で、生きているか?も知ることが不要だった人を
こんな形で生存確認してしまったのでした。



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