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HSPの私が生きる道(10) - ペーパードライバーの独白

いきなりだが、車を運転するのが怖い。
運転席に座ると手が震え、冷汗をかき、吐き気と息苦しさを催す。

かつて恋仲にあった人を隣に乗せるために、必死こいて免許を取った。
彼女はもう隣には居ないので、無理を押してまで運転する理由がなくなってしまった。

今では筋金入りのペーパードライバーなので、自分のゴールド免許には引け目を感じている。
中古でマイカーを買ってはみたものの、あまりにも乗る気にならず廃車にしてしまった。

大都市と比べて公共交通機関が充実していない地方都市で暮らすにはそれなりに不都合もあるが、そもそも外出に消極的な引きこもり体質のため(今のところ)主観的にはあまり困っていない。所用の多くは徒歩〜自転車圏内かオンラインで済ませ、バイト先や職場も基本的に近場を選び、車での遠出が必要な時は誰かに相乗りさせていただいている。

以上のようなことを(たいていは必要に迫られて仕方なく)打ち明けると、遠回しに諭されることがある。

断っておくが、ペーパードライバーに対して「運転はした方がいいよ。楽しいじゃん」などと言うのは、無意味な精神論に過ぎないと思っている。
お前は適当なノリで高所恐怖症の人を捕まえて「やってみたら気持ちいいよ」とか言ってバンジージャンプさせないと自分を正当化できないのか。運転席のドアを開けるところからが俺の葛藤の始まりなんだ、口を閉じろ。

などと心の中で毒づきながら、そうですね〜と愛想笑いを返すのが関の山である。

通っていた教習所には、ろくな思い出がない。
嫌味のデパートのような教官達。
卒検後に言われた「君は運転に向いてない」という意味の言葉。
その教習所は数年後に潰れた。テレビCMに某大物芸能人を起用しておきながら。ざまあみろ、とだけ申し上げておく。

こんな風に相当拗らせている私であるが、自分自身をHSPとして再定義したことで、少しは客観的な振り返りができるようになってきた。
このテキストは、そんな私のエゴで塗り固めた内省の記録である。

どうしてそんなに怖いのか

結論から言えば、交通事故が原因である。

人が一生のうちに交通事故に遭う確率は約35.8%と言われているが、私のようなケースがどれくらいの確率で起きるのかは分からない。十把一絡げに交通事故と云われるが、私と似たような体験をした人にお目にかかったことはない。(きっと大っぴらにしないのが普通だからだ)

◼️高校に入学する前の春休み、横断歩道を歩行中に車に撥ねられ、頭蓋骨骨折の憂き目に遭う。約1週間の入院を経て、高校入学まで自宅療養。入学式からしばらくは、全身の痛みと強張りが残っていた。

「当たりどころが悪かったら死んでたね」というのが、快復後に聞いた警察官の弁である。その時は無邪気に神仏に感謝などしていたものだが、身に刻まれた痛みと恐怖は簡単に消えてはくれなかった。

不幸中の幸いと言うべきか、現在まで後遺症らしきものはなく、最近では脳外科で「もう検査は必要ないと思います」と門前払いされているが、加齢とともに「脳脊髄液減少症」を発症するのではないかと戦々恐々となることがある。

参考:まつもと泉氏のケース

◼️さらに数年後、視界の悪い雨の日。自転車通学中に轢き逃げに遭う。軽傷で済んだものの、前回の事故の記憶は脳内で増幅され、轢き逃げ犯、ひいてはドライバー(という名の概念)への不信感を募らせることになった。

このように、多感な思春期に二度の交通事故を経験したことが、重度の運転嫌いの原因である。

…と、ここで話を終えるのは論理的整合性に欠けている。
「事故を起こしたから運転が怖い」ではなく、「車に轢かれたから運転が怖い」ことの説明がないからだ。

自分でも長年モヤモヤしていたものだが、ここ数ヶ月でHSPに関する知見を得たことで、ようやく腑に落ちる解答に辿り着く。

自他境界の薄さゆえ

HSPの特徴として定義づけられているのが、意識の上で自己と他者を隔てている境界線(バウンダリー)の脆弱さである。
(バウンダリーについての解説は以下リンク先が分かりやすいと思います)

最初の事故で横断歩道上で車に撥ねられたと書いたが、実はその時、私は図らずも信号無視をしていた。
その理由を以下に記す。言い訳と断罪する前に分析としてお読み頂ければ幸いである。

①事故現場の横断歩道には、道路工事に伴い、以前まで無かった信号機が設置されていた
②事故直前、私は横断歩道の向こうに同級生の姿を見つけ、新設された信号機の存在に気づかなかった

上記の②は、実にHSP的な過失と言える。(自動車対歩行者の事故では、一般的に自動車側の過失が重大とみなされ、歩行者側の責任はあまり問われないことが多いと思うが、この件では歩行者の私に明確な過失があったと自覚している)

HSPの別の特徴として、特定の感覚や事象に敏感である反面、それ以外の物事に対してひどく鈍感になりがち、というものがある。
この場合「同級生を見かけた」ことに意識を奪われ、「それまで無かった信号機」に気づかなかった、という大問題が発生したことになる。
(その同級生は、撥ね飛ばされた私に気づいて救急車を呼んでくれた恩人である)

その後、病院に搬送され、半日ほど意識が戻らず、目覚めると病院のベッドの上で見知らぬ医師の声と母親の号泣する声を聞くという体験をすることになった。

その数日後「加害者」の方が病室を訪ねて来た。壮年の上司らしき人物に連れられた、若い男性サラリーマンだった。
入院中、前述した己の過失に思いを馳せていた私は、「加害者」である男性が憔悴しきった面持ちで頭を下げる姿に、強烈な罪悪感を覚えた。
彼の絶望的な感情が、痛いほど体に流れ込んできたのを今でもはっきりと覚えている。(このような共感性の高さも、HSP生来の過敏さに起因するとされている)

この一連の体験をもって、15歳の私が強烈に実感したのが、「車を運転する恐ろしさ」である。

車は人を殺す凶器になり得る。
運悪く「加害者」となってしまった彼の生気を失った表情がフラッシュバックするにつけ、そのような凶器を取扱う覚悟が、どうしても持てない。
この強烈なマイナスイメージを払拭しきれていないことが、運転恐怖症の真因だと考えている。

二度目の事故の轢き逃げ犯に対して、思い出しては忌々しさを覚えることがある。
だが一歩引いて考えれば、この轢き逃げ犯も「不運な加害者」には違いない。人を撥ねてしまったという事実に圧倒され、判断力を失ったとしても不思議ではない。曲がりなりにも免許を取った経験がある以上、想像力をフルに使えば理解できることだ。

青臭い被害者意識を隠れ蓑にするのは、単に自分が未熟だからだ。
誰のせいでもないと認知し、ただ事象のみを観測するのが困難なこともあるが、それができて初めてスタートラインに立てることもある。

この現実を受け容れる

現在、少量ながら抗うつ剤を服用しているため、医師・薬剤師からは運転を禁じられている。今はそうだとしても、いつまでもペーパードライバーのままではいられないという戒めも、頭の片隅に張り付いている。

制限される再就職の選択肢。近い将来やってくる老親の介護。車を自由に転がせないことで被るであろうデメリットの多さには想像がつく。車を所持しないことによる経済的メリットはあるが、やがて天秤は傾いていくだろう。

「黙って動くしかない瞬間」は、ほぼ間違いなく訪れる。
極端な話、私がどんなに頑張っても、死へのカウントダウンや自然災害の発生を止められないように、受け容れて然るべき現実がある。

とはいえ大言壮語ではなく、あくまで私自身の身の回りの話だ。今のうちから無理のない範囲で心の準備を始めておこう、という意思表示でもって、この拙文を締めさせていただく。


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