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ばばとまごの最後の夏休み

母が亡くなったのは2年前の2月。
通夜と告別式には、当時小6と小4だった我が家の息子たちとともに、神戸から駆けつけた弟家族の小4姪と6歳甥も参列しました。4人の孫たちはそれぞれに涙をぽろぽろこぼしながら、ばあばのことを見送っていました。

特に我が家の長男は、赤ん坊の頃から散々世話になって来たおばあちゃんだったから、悲しみもひとしおだったと思います。

無くなる前の夏、母の病気はなかなか治癒への目処が立たない状態が続いていたものの、自宅療養が可能な程度には落ち着いていました。とは言え、それまではできていた些細なあれこれが、なかなかスムーズに行かない生活です。

介護保険で受けられるサービスもフル活用していましたが、この時、中学受験をするでもなく、スポーツに打ち込むでもなく、猫と戯れ、本や漫画をウフフと楽しんでいれば之良き哉人生、ザ・インドア人間であるところの長男に、白羽の矢が立ちました。

休みの間、買い物とか、ゴミ出しとか、片付けとか、そんな『ちょっとやってもらえると嬉しい』というお手伝いをあなたがしてくれたら、おばあちゃんはすごく助かると思うし、お母さんも安心なんだけど、とお願いしてみたところ「うん、いいよー。」と二つ返事。

それから長男は、週に3回くらいのペースで実家に通い、母のお手伝いをしたり、実家で宿題をしたり、父の大量の蔵書(マンガ)に耽溺したりしながら過ごしていました。この時期、長男の方が確実に私よりも母の顔を見ていたと思います。

ここ数年病気がちだった母は、終活に熱心に取り組むとともに、生きることへの未練というか、執着みたいなものをどんどん切り捨てるような言葉が増えていました。春先に、白血病という明らかに重い響きを持つ診断名がついてからはその傾向がいっそう強まり、娘としてはそれがなかなかしんどくもありました。もうちょっと、生きていたい、という思いを持ってくれてもいいのにな…そんな風に、寂しさと苛立ちの混ざった歯痒い想いを私はいつも抱いていました。

でも、長男が、足繁く通うようになり、母の気持ちにも少し変化が出たようでした。

「長男ちゃんは、いつも『はーい♪』って、すごく良い返事で頼みごとを引き受けてくれるのよ。」
「私が椅子からどっこいしょと立ちあがるときも、サッと手を出して支えてくれるの。優しいねえ。」

伸びゆく若木のような存在とともに過ごす時間は、たしかに母の心に灯りを点したのでしょう。

「近頃は、母もちょっと欲が出て、長男ちゃんが中学の制服を着た姿を見てみたいなあ、なんて思うようになりました。」

夏の終わり頃にそんなメールを送られたとき、私は、本当に、本当に嬉しかったのです。ありがとう、長男。

残念ながら、制服姿は間に合わなかったけれど、中学に入学してから実家に見せにいきました。そんな長男も、早いものでそろそろ中学生最後の夏休みを迎えようとしています。

高校受験を控えても、あの時と同じように基本のんびりゆったり過ごしている君。果たしてどんな大人になるのだろうね。きっと、お空の国のおばあちゃんも、楽しみに眺めていることでしょう。

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