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さみしいけど、幸せなの。 #幸せをテーマに書いてみよう

30歳になってから、出産ラッシュがやってきた。
それは今もゆるやかに続いていて、先月無事出産した友達もいれば、この後出産を控えている友達・親戚は、把握しているだけで4人いる。

私の趣味の一つに『神仏めぐり』があって、日々のお礼、御朱印集めのほか、安産祈願の御守りをいただきに行くのも、目的の一つに加わった。
先月出産した友達には、彼女が結婚式を挙げた神社の御守りをプレゼントした。
来年出産予定の友達には、一緒にバスツアーで行った神社の御守りを用意したいのだけど、ちょっと遠いのでどうしたものかと考えているところ。

そんな私は、まだ出産の予定はない。
時たま、ほんの、少しだけ。
新しい役割を担った彼女たちを、羨ましく思うことはある。
そういう時は、授かりものだから、自分は自分と、深呼吸している。

───

30歳の夏、里帰り出産を一ヶ月後に控えた友達Mと、軽く夜ご飯に行った。
彼女は高校の後輩で、お互い東京の大学に進学。住まいがさほど遠くなく、社会人になっても付き合いが続いた。
※因みに、Mを起点として5人を介し、私は結婚した。

これまで出産した友達は何人もいたけれど、心の距離が近くて、私のいいところもダメなところもたくさん知っている妊婦さんはMが初めてだった。
Mが旦那さんと付き合い始めの頃、深夜までメールや電話でさんざん進捗を聞いていたし、
そんな私と言えば、道ならぬ恋にズブズブに浸かっており、
「Mの最寄り駅に行くから、泣きたいから肩を貸してほしい」
なんて、悲劇のヒロインを演じるのに夢中だった。

Mが「妊娠した」と言った瞬間、とても嬉しかったし、その後も何回か会って、大きくなるお腹を見るたび、幸せな気持ちでいっぱいだった。
なのにあの日はどうしてか、笑顔で別れたかったのに、言葉に出来ない感情が押し寄せてきて、目頭がじんわりと熱くなった。

「なんかね、Mがママになるのがとっても嬉しいのにね、
これからも友達だってことに変わりはないのにね、
ちょっとだけ遠くに行ってしまう気がしてね、
悲しいとか、そういうのじゃ全然ないんだけどね、何だかさみしい。」

帰り際にハグをして、こんなことを言った。
ライフステージが変わる友達に、置いていかれる気がして悲しいんじゃなくて、
昔よりも、構ってもらえなくなってしまうことが悲しいんじゃなくて。
次にMに会う時にはもう、Mはママになっているってことが、
嬉しくて楽しみなはずなのに、どこかさみしかった。

「うまく言えないけど、言いたいこと、何だか分かるよ」と、Mは返してくれた気がする。

そして私はこの後も、謎のさみしさを幾度となく経験することになる。
別れ際、もうすぐ母になる彼女たちとハグをするたび、胸が締め付けられる。

“今までより会う頻度は少なくなるけど、
今生の別れじゃないし、
会ったらまた楽しく過ごせることに変わりはないのに、
どうしてこんなにさみしいの?“

───

今回、#幸せをテーマに書いてみよう というお題をきっかけに、
長年謎だった”さみしさ“と改めて向き合ってみた。

卒業式と、少し似ているかもしれない。
それぞれ進路が変わっても、友達でいることに変わりはない。
体育館や教室は”卒業おめでとう“と、晴れやかで幸せな空気に包まれているけれど、校門をいざ出ようという時に、ここから先は別々の道なんだって突きつけられる。
さよならじゃないけど、さよならじゃないけど、涙とさみしさが込み上げる。

友達と、生まれてくる赤ちゃんの幸せを願って、ハグして、「がんばってね」って、何度も言った。
新しい門出なのに、ちょっと泣きそうになって、さみしくなって、ごめんね。

でもね、さみしいけどね、とても幸せだよ。

───

ちょっとだけ、締め切りをすぎてしまいました。
弱音DMを送ってしまったけど、何とか書けました。
あきらとさん、お声がけ・お取りまとめ、ありがとうございました。

#幸せをテーマに書いてみよう #さみしさ #エッセイ

読んでくださりありがとうございます!