自己紹介

こんばんは、久しぶりです。こんなnoteを心待ちにしてくれている友人を数週間待たせながら考える文章は結構楽しいです。そんな友人がリクエストしてくれたnoteネタが「自己紹介」でした。あぶないので心して読んでください。


まず僕が生まれた土地、これは意外にもグンマーです。恥ずかしくてあまり言いたくなかったのですがネタになるので意を決して言いました。本当に恥ずかしいです。何で今長野に住んでいるのかと言われれば親の離婚が理由です。割と沢山の人が見る場所で言うのもどうかと思うけど、許してママ。

結局3歳くらいから長野市に住むことになりますが、これは本当に恵まれている事なんだなと強く実感しています。パルセイロがあるし、面白い友達にたくさん出会えたし、綿半があるし、人が住む上でここより適した場所は存在しないだろうと思っている程に居心地はいいです。それに対してグンマーはどうでしょう。いびつな形をしているくせに

”鶴舞う形の群馬県”

とか言い張る程度のクソみたいなユーモアのセンスしか持ち合わせていないカス共です。自我が形成される前にグンマーを脱出できたことは本当に嬉しく思っています。仮にグンマーで育っていたことを想像すると今にも不安で押し潰されそうになります。 

英語の授業で ”6” の発音を聞いてニヤニヤするような高3になっていただろうし、異性に対して「おーい、寝てる?笑」みたいな追いLINEをする奴になっていたと思います。グンマーというのは歪んだ人格を形成するに最適な土地なのです。

一応補足しますがこれは群馬県を叩くnoteではありません。書いていたら楽しくなっちゃっただけなので後日、群馬県庁まで謝りに行こうと思っています。

なんやかんやあって幼少期時代の話に移ります。昔は片目が一重だったので面影があるかと言えば微妙かもしれませんが、かなり可愛いかったのは確かです。グズって泣いたりする事が極端に少ないお利口さんなガキだったらしく、僕の全盛期は間違いなくここで終わっています。幼少期に天才児の鱗片をすこーーしだけ見せた結果がこれです。

幼稚園では平均より少し絵が上手く、他の奴より少し多めに図鑑を読んでいただけで「自分はすげぇ奴だ」と思い上がっていました。あだ名は当然、昆虫博士でした。一応博士号を取得しているのであまり僕を舐めないで欲しいなとは常々思っています。


この辺でそろそろ小学校に進学させます。小学校時代の僕は足が早かったため、ここでも「自分はすげぇ奴だ」と勘違いしてしまいます。ただ、リレー選手には6年間縁がありませんでした。3度のクラス替えがあったのにも関わらず、毎年「クラスで3番目に足が早い奴」のポジションを維持し続けます。(リレー選手の枠は上位2人)1度でもいいから足が早くてチヤホヤされるという小学生特有のノリを経験してみたかったなとは思っています。今からでも遅くないのなら誰か教えてください。

勉強の方はというと、天才でした。小学校の勉強に天才もクソもありませんが、またしても当時は「俺すげぇ奴だ」と勘違いしていました。漢字の50問テストは満点ばかり取っていたし、後に県内屈指の進学校に合格するW君と対等に渡り合える程にはテストの点数が良かったです。なんで今こうなっているのかは本当に聞いて欲しくないです。

そして勘違いしたまま中学生になります。怒涛の勢いでボロが出る中学時代への突入です。小学校の時から唯一嫌いだった算数は数学へと変わり、不穏な空気が漂い始めます。不穏な空気と言うよりは完全に不穏でした。早い段階で数学の成績が壊れ始め、そこで気づく訳です。

「ぼく凡人だ!😅」と。

結局凡人はろくに数学を頑張ることもなく苦手を克服しないまま3年間を過ごしました。まあまあ後悔していますが今こうして毎日ゲームが出来ているのでどうでもいいです。バチが当たるなら早めにお願いします。

そんな僕でも得意な教科というのはありました。正確な教科名は忘れましたが社会系の教科です。必死に板書を書き写して真面目に授業を受けた友達と、睡眠学習に勤しんでいた僕の点数があまり変わらないというのは日常茶飯事でした。なんなら僕の方が高いというパターンも珍しくありません。誇れることではないですが「気持ち良かったなぁ」という想いが漠然と浮かび上がってきます。

酷すぎた数学をどうにかするため、一応塾に通わせて貰ってはいましたが、得たことを挙げるとすれば「ラブホに入っていく車を友達と見るのは楽しい」ということくらい。塾の裏にラブホがあったせいで他のことはあまり覚えていません。

ちなみに中学の卒業式では普通に優しい涙を流しました。大好きな友達が多かったのでかなり寂しかったし、「綺麗な心を持っているな」と自覚したのはこの辺です。

高校に入ってからはカスみたいな記憶しか無いのであまり言いたくないし、これを読んでいる人の大半は僕がどんな人間かよく知っていると思うので特に書くことは無いです。軽音部に入っていなかったら本当にどうなっていたか分からないので、ドラムに触れるキッカケを作ってくれた叔父さんには特大の感謝をしています。そして、とりあえず今は人生で1番のぬるま湯であるこの時期を存分に楽しみます。

                                                                   おわり


※無条件にお金をくれる人を常に探しているので常にDMは解放しています。


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