結構強いバレー部に入ってしまった話

これは中学生だった時の話。

「サッカーやってそうな顔だね」と言われたり、サッカー部のような服装が好きだったり、1番の趣味はサッカー観戦だと自信を持って言えたり、そんな俺はなんと中学の3年間をバレーボール部として過ごした。「なんでバレー部入ったんだよ」と思ったあなたは正常。でも理由は普通で ”仲が良い友達が多かったから”。ただそれだけ。

サッカー部に入ろうという考えは少しあったけど、あのスポーツは小学生から頑張ってきた連中がゴロゴロいる訳で、サッカー未経験の俺はすぐにその考えを捨てた。見る方が好きだし。その反面、バレーボールは経験者が少なそうだし何か緩そうだから問題ないだろ、という認識だった。


部活見学を済ませ入部手続きも終えた4月の下旬、ついに部活がスタートする。顧問と初めて対面して発足会みたいな感じで話を聞くわけだが、ここで全てを察する。

「あ、厄介なキャラクターだな」


もうおしまいである。まだ怒られてないのに既にちょっと怖かった。40代なのにエグいM字ハゲだし、「元高校教師だから甘ちゃん中学生なお前らをバチコリしごいてやるよ」みたいなこと言うし、生半可な気持ちで入部した俺は泣いちゃいそうになった。後々気づくことになるが、バレー部の顧問なんてのはどこの中学もキショい奴らばかりで八割くらいは頭がおかしかった。俺が部活を舐めすぎてたと言えばそれまでだが。

部活内容の話をすると、最初の1ヶ月はマジで走ってるだけ。明らかに陸上部より走ってた。結局3年間通して走りのメニューがやたら多かったが、シャトルランの記録はグングン伸びたのでほんの少しだけM字顧問に感謝している。

地獄のような走り込みの日々が終わり、いよいよボールを使った練習が始まる。なんとなく基礎練をこなし、日が経つにつれて気づいてしまった。

「つまんないしセンスが無い。」


センスがないからつまらないのか、つまらないかららセンスもクソも無いのか、多分前者。よく一緒に練習してた友達はそれなりに上達していき、普通に俺は置いていかれた。ちなみに俺が1年生の時は全くもって強いバレー部ではなく、むしろ弱小校だった。大会は早々と敗退し3年生はあっさり引退を迎える。


そして、綺麗な成長曲線を描けないまま2年生になり世代交代が進んでいく。2年生でスタメンに入る奴、ベンチに入る奴も少しずつ増えていった。当然俺はベンチ外で、よくギャラリーから試合を見ていた。チームの出来はと言うと確実に去年より強く、経験者である2年生のM君と1年生の超逸材、T君が相当な活躍をしていた。 この時点で既に強豪校の片鱗を見せ始め、雲行きが怪しくなっていく。大会は面倒だし早く負けて欲しいのに割と勝ち進んでしまうチーム。しかし、結局この年は3年の引退が懸かる大会で県大会を目前にして敗退した。

3年が引退して俺ら2年が主体となる訳だが、特にスタメンになりたい訳でもなくN君と適当に練習したり、練習試合の時はよく一緒にギャラリーで無駄話をしていた。彼はシンプルに頭がおかしいのでM字顧問をよく怒らせる奴だった。ギャラリーで自分の水筒を倒してしまい、謎の色と謎の香りを放つお茶をぶちまけて周りをザワつかせていたのは未だに忘れられない。 結局、散々悪事を働いた末に異例の「顧問からクビ宣言」を言い渡され部活を辞めることになる。この辺りから俺は少しだけ部活を真面目に頑張り始めた。試合には出ないが、審判や球出しなどの雑用をせこせこ働いたりするそんなレベルだ。

結局2年生の間は稀にベンチ入りする程度でBチームの試合に出るのが大半だった。1番のハイライトと言えば、パルセイロの試合を見るために練習試合を休んで皆を驚かせてしまったことくらい。サッカーを愛しているので罪悪感は0に等しかった。

そんなことをしている間にもスタメン組の完成度は高まるばかり。逸材1年生から完全体2年生となったT君がアホみたいにスパイクを決めてくれるお陰でチームは強くなってしまう。2年生の後半にはメキメキと我が中学は頭角を現し、大会でも優秀な結果を残すようになる。強くなると共に激しくなっていく練習詰めの毎日は、試合に出ない俺でさえ心底嫌になっていた。M字顧問にキツくしごかれるスタメン組を死んだ目で見守っていた記憶がある。

こんな感じでふわっと2年生を過ごし、なんと俺は3年生になってしまう。すっかり強豪校になり、練習試合の様子も何やらおかしくなってくる。変な色のメガネをしたモヒカン顧問が率いる県内屈指の強豪バレー部と、自分の中学たった2校だけが参加する1日ぶっ通し練習試合の始まりである。練習試合というのは普通5、6校が参加して試合を回す事が多いのにコレは明らかに異常な事態だった。

で、この中学の怖いところは全員丸坊主なうえにBチームもマジで強い。ゆるい雰囲気の ”B戦” のはずが無駄に怖かった。B戦なのに緩くないという矛盾に耐えつつ、俺も頑張って試合をしていた。

明らかに異常な練習試合に耐えてきた我々は遂に夏の大会を迎える。自分達の引退が懸かる大一番だが、不届き者な俺はなるべく早い敗退を願って大会に臨んでいた。ちなみに当然の如くポジションはベンチ。試合内容はいうとまあ、我が中学は強かった。ここまでの流れで分かると思うが、そう簡単に負けるチームではない。腹が立つ。市中大会を難なく突破し、県大会へと駒を進めてしまった。

実は県大会に進んだのは初めてではない。2年生の時に既に経験があったので、ある程度覚悟は出来ていたが問題はここからだった。県大会の次に待っているのは北信越大会で、ここに進めるのは4枠。つまりベスト4に入れば北信越が確定するのだ。わりと枠が多く、チームには ”行ける雰囲気” が漂っていた。非常にまずい事態だ。一応チームには俺と同じようなマインドの友人も何人かいた。そんな奴らと愚痴を垂れながら、健闘するスタメン組の試合を見ていた。

そして順調に勝ち進んでいくチームは遂にベスト4に到達してしまう。北信越大会への出場が決定した。歓喜の渦の中、一部のひねくれ者達は心の中で思っている。

「ま だ 引 退 で き な い の か」


この時、クラスメイトの大半は部活を引退してヘラヘラしていた。そんな中で北信越大会出場を決めてしまったバレー部はまだまだ部活が続く。家に帰った俺はふて寝をした。北信越を目前にして惜しくも敗退、というシナリオを想像していたのにスタメンの彼らは想像以上に強かった。俺も鬼ではないので彼らの努力を称えるしかなかった。素晴らしいチームだった。(泣) 

県大会を終え学校に行くと「祝 男子バレーボール部 北信越大会出場決定」みたいなことが書かれた垂れ幕が校舎にかかっている。普通なら誇らしい気分になるはずが、俺は  (  ˙-˙) ←こんな顔で眺めていた。チームの士気は高く、また辛い練習が始まる。早期敗退を願っていた同志の友人と愚痴り合いながら練習に耐え、遂に北信越大会に臨む日が来た。

会場は石川県。バスの中は遠足のようなテンションで楽しかった。1泊2日の予定なので、まずは泊まることになる宿に向かった。お刺身が大好きなので、宿で出された鯛の刺身は本当に美味しかった。3年間の奴隷生活を労ってくれるような感じがした。振り返ると本当に休みが少なく、夏場の延長部活は地獄だった。延長部活は7時までという規定があったが、M字顧問は独裁体質だったので30分オーバーは当然だし8時前まで伸びることも稀にあった。そんな日々の終わりを目前にして食べるご飯は史上最高の晩餐だったと言っても過言ではない。

1日目は会場でのウォームアップだけで終え、ついに試合当日の2日目を迎える。初戦の相手は確か富山の学校だった。押され気味だった試合の入りをそのままに1セット目は取られてしまった。かなり強かったので、このまま2セット目を取られて無事引退が決まると思っていたが、スタメン組を舐めてはいけない。2セット目を取り返し、いよいよ分からなくなってきた。ここで葛藤が始まる。

「ここまで来たらもう応援するしかないのでは?」という善良な自分 VS「どうせ全国には行けないんだし早く負けちゃえよ」という卑屈な自分。そんな思いが交錯する中で3セット目を迎える。

正直、どんな展開で試合が進んだかは覚えていない。結論を言ってしまうと3セット目を取られて負けた。全てが終わった。”終わってくれた” のか ”終わってしまった” のかは分からないが、とりあえずホッとした。流石に落胆するスタメン組を見るとやるせない気持ちが湧いてきたが、保護者への挨拶を済ませ、M字顧問から労いの言葉を受け取ったチームは会場を後にした。いつも愚痴り合ってきた友人達と「やっと引退できるwww」なんて上機嫌で話しながら帰りのバスに乗った。死ぬ訳でもないのに走馬灯のごとく3年間の思い出が頭の中を巡った。心のどこかで少し寂しさを感じる自分に恥ずかしくなりながらも、部活生活は幕を閉じた。

散々こき下ろした部活生活だったが、バレー部に入ったことを後悔はしていない。どんなに部活が嫌いだったとしても、本当に嫌な思い出として引きずり続ける人は少ないんじゃないかと思う。結局今こうやってネタにしているし、大好きな友人も沢山できた。面白くもないしちょっと綺麗な終わり方になってしまったが、これでお話は終わり。最後まで読んでくれた人はありがとうございました。僕は一生サッカーが大好きです。



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