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消化と浄化とか

 人って常に何かを消費して生きてる訳で、その副産物として何かしらの成果、形として残されているのだと思う。基本は消費。
 時間、お金、性、思考、体。挙げれば様々ある。ただ問題は消費の仕方で、自ら選択していることならば何をどう使おうと個人の自由だし、他人がとやかく言う筋合いもない。
 ただ無理してすり減らしているならば?すり減らすとは擦る訳だから大根おろしの大根本体の切り口みたいにささくれ立った傷口だらけで、カサブタだらけになると思う。そのカサブタを擦ることを止められなくて深い深い傷になって、骨まで至って更に細菌感染してって大変なことになっている場合もあると思う。
 更に問題があるのはその傷に手当てをしてくれる場所や人は少ない事。代わりに塩を塗り込んで浸透圧で限界まで搾り取ろうとし、傷を抉る、傷だけで人格まで決めつける人や場所が多すぎなところ。
 一度貼られたラベルはいつまでも剥がせない。瓶のラベルを剥がそうとしても、うまく剥がせず残ってしまうように。でもあのラベルって洗剤とかを付けるとするんって剥がれたりする。糊を溶かすモノを上手く使うと綺麗に剥がれる。
 人に対する洗剤的なモノは何だろな?それがSNSなのかも。諸刃の剣の側面はあるけど発信して、消化されることで浄化されることもあるはず。
 あと、無闇矢鱈に他人の傷をえぐる頭カチカチの正義感を振り回す危険性についてもう少し考えるべきだと思う。
 
 
 

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