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あつまるところ、あつまるひと

軽やかなピアノのイントロが辺りに響く。

“腕を前から上にあげて伸び伸びと背伸びの運動から…”

どこか牧歌的なアナウンスが耳に直接届くのを遮るように、今日一日の始まりを拒絶するかのように僕は布団を頭から被り直して暗闇に安住を求める。そして昨晩を思い返して漏れ出たため息をあくびでごまそうとする。

「キミは正直期待はずれやったわ」

右から左に抜けて欲しい言葉が、頭の真ん中で躓いて反響を繰り返す。残響は脳を駆け巡って無慈悲な評価に僕は気分が悪くなってしまう。やり遂げたというより耐え忍んだ一年間だった。この上司はイマイチな成績を差し置いて悪評が先行していて、勿論、噂はずっと前から聞いていたのだから僕だって近づきたくはなかったのだが上司を“選べない”のも組織の常だ。ここで仕事を続けるのならきっと得るものもあるだろうと自分に期待した部分もあったのも事実だ。ただ、下で働くようになってすぐに分かったのは、コイツは部下の些細な緩みというか余白を許さないタイプだということだ。しかも余白というより業務過程の良し悪しの判断基準はいつもこのコイツの中にだけ存在しているのだ。自分にとって都合のいい結果しか聞く気がないのだから、部下たちの行動も情報も掌握出来るものでもなく、この上司が“そこそこの成果”なのも頷ける。二世代ほど前の価値観でコイツは生きている。

そんな上司に調子を合わせてやり切ったのだから…と、労いの言葉を求めた自分が甘かったのだ。

で、ですよねぇ…

とすっかり泡の消えたビールを一気に飲み干し、精一杯の愛想笑いを浮かべたが果たして僕はどんな顔をしていただろう。涙は誤魔化せただろうか。一方的に期待をして勝手にハードルを上げたのはアンタだろうと言葉を投げつけたい気持ちをぬるいビールで流し込んで、僕は嫌味をサラリとクールに受け流す仮面を被り、更に乱高下する評価に負けずに“愚直に頑張ります!”と額に刻んだ仮面を密かに用意する。前の前の前に被ってた仮面が何だったかは忘れたし、自分がそもそもどんな顔なのかはいつ忘れたのかすらも忘れた。そうやって増やし続けた仮面の数と社会人としての能力は比例関係にあると僕は信じていた。信じるというより、すがっている言った方が正しい。

俯いた一日の終わりは決まって閉店間際のスーパーだ。売れ残りの惣菜でとりあえずカゴを埋める。カゴの隙間をなくすだけの無機質な作業だった。

「その三割引きの唐揚げ。もうすぐ半額シール貼られるんちゃうかな。もう店閉まるし」

振り返ると親よりも上であろうおじぃがこちらをみている。無意識にスッと距離をとる。構わずおじぃは訥々と語り始める。

ワシな、にいちゃんの事たまに見かけるねん。にいちゃんはいっつも俯いとるから知らんやろけど、ワシは知ってるで。あんな、休みの日とか暇してるんやったら、子供たちの勉強でも見てやってほしいねん。勉強は出来るんやろ?そんな顔しとる。あ、ほれ、いなり寿司も半額やで。

半額の惣菜たちの会計を済ませて歩き始めた僕はこの怪しい老人ともっと距離を取りたい気もするが、仕事ではない会話がどこか懐かしい気もしている。

「お孫さんのことですか?それか、塾かなんかのバイトの勧誘ですか?」

いや、ただのボランティアや。
ここのスーパーの上でやっとるねん。
そしてこれは勧誘やなくて正式なスカウトや。

いよいよ以って訳が分からない。

ワシらの世代ってな、皆で一緒に同じ方向に走って来たんや。皆が同じことを同じようにやる。そして出来るヤツがちょっと偉い。皆同じやから違いがでる。そんな時代や。

せやかてな。ここの集まりにはな、ぎょーさんの人が色んな話をしに来はるんや。年寄りも若者も子どももおる。皆、自分の話がしたーてな、来はるねん。皆んなそれぞれバラバラなんや。せやからな、皆どんな人かはよー知っとるけど、どこで何して来はったんかはどうでもええねん。皆、好きなように集まって来はるんや。

ほんでやな、宿題持って来よる子らに教えたってほしいねん。まぁ、せやな…ほな、にいちゃんには賄いつけたろ。皆で作って皆で食べるんやから、なんか手伝ってもらうけどな。玉ねぎでも刻んでもらおかな。“管理人”にはワシから話を通しとくし。

あ、管理人てな、ケッタイな男がおるんや。管理人が何かをしてくれる訳やないねんけどな。そこがええねんな。ややこしいこと言いはれへんから、何かせなあかん、ってのがない、そんな場所なんや。好きなように顔出して好きなこと喋ったり喋らんかったり。ほら、やる事決まってたら気ぃ遣うやろ?出来へんかったら申し訳なくなるやろ?申し訳なかったら行きたくなくなるやろ?そんな面倒くさいとこがないんや。ちょっと頼りない管理人がいてはるからな、それぞれのやり方で頼りない管理人を助けたろうと思うねん。ほんでな、肝心の管理人は笑うとるだけなんや。ほんま助かりますわ〜、って。せやからな、皆んなが“また”助けてあげたい、って思うねん。管理人は生活がズボラやからな、たぶん今日も何も食べてへんねんで。風呂は毎日入ってるやろけど。いや、どうかな。怪しいわ。でもな、そんなありがたい場所をつくってくれたんは管理人本人なんや。毎朝ラジオ体操しましょう、って始めたのも管理人本人なんや。

あぁ、あのラジオ体操か…。
歩きながらおじぃはずっと喋り続けている。

しんどい時はな、周りがよく見えへん。そんなん当たり前や。しんどい、助けて欲しい、これもなかなか言えるもんやない。自分で自分のことは分からんからな。ほんでもな、誰かのために何かしようって時、それが自分を助けることがあるねんな。今のワシみたいにな。

無視するのも気が引けて曖昧な相槌を続けながら結局僕は並んで歩いてる。夜風が頬に冷たい。そういえば冬ももう過ぎ去ろうとしている。

「あ、ありがとうございました。
お話…、割引を教えてもらって。」

なんか変なのに絡まれた薄気味の悪さを感じたはずの帰路は、何故だか少し足取りが軽かった。僕がこれまで枚数を重ね続けた仮面を脱ぐとしたら、脱いでも受け入れてくれるのなら、そんな場所があるのだとしたら、残る僕の顔は一体どんなのだろう。僕は誰かに助けて欲しいのだろうか、こんな期待はずれの僕が全然関係のない人の役に立つことなんてあるのだろうか…。そんなことを考えていたら、その夜は缶ビールを一本多く飲んでいた。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

軽やかなピアノのイントロが辺りに響く。

“腕を前から上にあげて伸び伸びと背伸びの運動から…”

どこか牧歌的なアナウンスが耳に直接届くのに合わせて振り上げる腕のその先の、指先に釣られるように僕は視線を上げる。視線の先にはすっかり葉が落ちきってしまっている木の枝が毛細血管のように細く広がり、その枝の先に目を凝らすとつぼみのようなものが少しぷっくりと膨らみ始めている。春のにおいがする。

さっきまでの白っぽいモヤがだんだんと薄らぎ、その向こうにはピンと尖ったような青色をした空がずっと遠くまで抜けていた。

決して何かが変わった訳ではない。
昨日は昨日で最悪だった。
でも僕はここで、この場所で今日を迎えていて、明日のことは分かんない。
それを僕は知っている。

今日一日のはじまりを胸いっぱいに取り込むように、まだ冷たい朝の空気をすぅと吸い込んだ僕の鼻の頭は冷たくって、ブンと振り上げた僕の手には玉ねぎの甘い香りが少しだけ残っていた。
                (おわり)

*****

“いま、一番勢いのあるPodcast”
で名を馳せる『同じ鍋のモツを食う』の2,000文字お便りのコーナーに宛てた短編小説です。
※掟破りの3,000文字超w

パーソナリティは…
カテゴライズなんてちっぽけな概念なんて吹き飛ばすくらい陰キャのエネルギーがほとばしってるセキヤさん

と、そんなややこしい(←もちろんいい意味で)セキヤさんを自由に飼い慣らす聞き役の神、笑い声がとてもキュートで優しい陽なエネルギーが滲み出ちゃってるずーみん(@tttttaoao )のおふたり

『同じ鍋のモツを食う(鍋モツ)』は番組名もクセが強いし、話の内容もよく分からない。でも、とても繊細な心を持ち合わせるお二人が日常をあれやこれやと語るさまはずっと聞いていられるし、いろんな生き方がある、或いは生きてりゃホント色々ある、をじんわり感じさせる味わい深い番組です。

鍋モツにはずっーとお便りを送ってみたいと思ってましたが、気の利いた文章が何も浮かばず、かと言ってよく聴いてはいるので、そのままの“私の思う鍋モツ”を物語にしてみました。
ええ。私の自己満足を丸投げした訳です。聴いてますよ!面白いですよ!を伝えたい気持ちだけでつらつらと書きました。

とはいえ配信で読んでもらうのは長い…
それは分かっていたので「長いお便りをもらっています」程度に触れて頂ければ満足だと思ってたらなんとラジオドラマに!
その発想とセンスと完成度の高さたるや恐るべし!

鍋モツtwitterではこんな紹介を!

驚きました。
ドラマ仕立て!

…で、このイケボは誰???

Podcast番組『スーパー陰キャワンダーランド』のかえるさん🐸とうさきざん🐰にずーみんからオファーを出されたとか。キャスティングしたセキヤさんからでなく、ずーみんに頼んでもらうところが地味にツボります。

いやー、声!声!素敵です。
そして表現力。脱帽です。というより引き込まれてしまうってこういうことなんですね。

さて、この配信の後半のオーディオコメンタリーの中で、セキヤさんが「場面が浮かんできちゃう」って発言がありましたが、この文章では表現すること伝えることよりも読み手、聴き手の頭の中から映像を引っ張り出したい、そんな気持ちで書いてます。

それにはキッカケがあります。

アメリカ文学を研究されていて関西大学で講師をされているフォトグラファーの別所隆弘さんのnoteから。

言葉は思考と記憶を呼び出す装置なのでは?の考えに目の覚める思いです。物語に求められるもの、私が欲しているのはこれなんだと感じています。何のために言葉を綴るのか、の軸が私の中で少し変わりました。

そして、この短編が鍋モツのお二人に届いたことで既に私は大満足だったりするのですが、ずーみんからこんな感想tweetが…。もう、これは家宝にします。

本当に嬉しいです。
リスナー冥利に尽きます。

『同じ鍋のモツを食う』
いやはやすごい番組です。

“Podcastのロジックとかメソッドとか全くわかんねーし、センスだけでやってっから!”

才能ーーーっ!
益々ファンになりました🦌