空手という美学-強さを求め続けることが人生を豊かにする-
「強さを求め続けることが人生を豊かにする」ことについて話していきたいと思います。
まず初めに空手はほかのスポーツとは違うんだ!という対象との差別化をしていきたいと思います。
子供たちから人気のスポーツっていろいろありますよね。サッカー、バスケ、バレー、陸上、野球など。これらのスポーツといわゆる格闘技では絶対的に違うところが一つあります。それは物理的に相手を傷つけ、自分を傷ける点にあります。
サッカー、バスケ、野球では仲間と高め合い、時には争い、時には助け合い集団生活を通して生き方を身に着け、強くたくましい精神力を会得していきます。一方で、空手は己と向き合い、己を高め、傷つけ傷つけられながら強靭な精神力を会得していきます。一概に精神力といっても得ることができる精神力はそれぞれスポーツによって全く違うのです。空手は物理的な痛みがそのまま精神力の成長に繋がるのです。
私は何年間も空手を続けているのだから、あのしんどい練習をこなしているのだから、腹筋100回できるのだからというように自分の達成した練習量がそのまま自分の自信となり、強靭な忍耐力を身に着けることができます。言い換えると、何事からも逃げないやり遂げる精神力をつけることができます。これは一見バスケやバレーでも続けていればそう思うのではないかと考えますが、やはり殴る殴られるスポーツとそうでないスポーツとでは精神面のとらえ方が異なります。自分の意志で相手を傷つけそして傷つけられる、こんな美しいスポーツはありません。
意識的に相手を傷つける行為そして、相手から傷つけられる行為から真の痛みというものを感じていきます。それは精神的な意味でも身体的な意味でもあります。この痛みからこの稽古以外では絶対に人を傷つけれてならないし、格闘技を習っている拳士として弱者をしっかり助けるべきであるという空手の精神が刷り込まれていきます。拳士は非人道的なことはひどく嫌いますし、言葉は選びませんがいわゆるださいことは絶対にしたくないと考えています。少なくとも私はこの考え方が常にあります。空手を習うと相手に優しくなることができ、また自分のことを大切にすることができます。私はこの美学の元格闘技でしか得ることができない精神力というものがあると思っています。
「いやでも、いまは令和の時代で身体的な強さは関係ないやろ、サッカー、バスケ、野球がええんや!」という声が聞こえてきそうですがそうではありません。確かに江戸時代であれば身体的な強さは非常に重要ですが、それは現代でも同様に重要です。身体的な強さはそのまま自分に圧倒的な自信を持つことに繋がるのです。
たとえ話をします。今から大事な商談があります、相手はあの強面で有名なA会社のおっちゃんです。そしてあなははこう思います。「おっちゃんに営業をかけるのは不安だなぁでも今日決めきらないと上司に怒られるしなぁ怖いなぁ。」と。
みなさんはこのように思ったことやその類似体験など一度くらいは経験したことがあるのではないでしょうか。この時空手をやっていなければ、声が震えながら手が震えながら紙を差し出すときにびくびくしながら営業をかけることになるでしょう。一方で空手をやっていれば、「最悪こいつと戦うことになっても勝てるな」というマインドの元、相手に本気で営業をかけることができます。
一見過剰な思想に思われますが、このくらいのマインドを持っていれば、自分に圧倒的な自信を持つことができ、人生を優位に進めることができます。筋肉がついていてこぶしがごつごつしているだけで今までの自分とは違う世界が待っています。これが最初に述べたように精神力に直結するのです。身体面を鍛えることによってどんな相手にも怯まなくなり自分の行動に自信を持って生活することができます。
また、空手は己と向き合うスポーツです。私は稽古の時間になると今週の自分はどうであったか、相手にやさしくできたか、筋が通っていない生半可な行動、態度はなかったか、来週はどう過ごしていくのか、など考えており、自分を見つめるきっかけとなっています。自分を見直し修正し、より自分を高めるそんな美学が空手にはあります。
人生に刺激がなくて何かやってみたい人はもちろん、いま忙しくて時間がなくて常に何かに追われているけど充実はしてない人には是非ともやってもらいたいスポーツです。年齢、性別、などは関係ありません。やると決めたその日その時が最速なのです。
強さを求め続けることが人生を豊かにするのです。
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