星を描くものたちへ 第三話

 開発部は比較的静かなほうである。
 企画などの大人数でチームとして行う仕事は、プロジェクト以外にはほとんどなく、大体は個人プレーで黙々と仕事をすることが多い。そのためイヤフォンをしながら作業したり、会社に来る日もあれば在宅にしたりと、比較的自由な形で仕事ができる。
 ただチャットの中は騒がしく、チームチャットや個人チャットも何かしら質問が行き来し、雑談が飛び交っている。
 そして椎名のチャットにも晴菜からの個人チャットがきていた。

Haruna 13:10[また嘘ついたってどういうことですか!!!!]
Shiina13:11[いや謝ろうと思ったんだけど、こう、先に色々言われてね、・・・・言えませんでした]
Haruna [はー何やっているんですか!もー、先輩どうするんです?]
Shiina[どうするも何も、うちの会社マンガ編集部あるっていうからまずそこの社員にちょっと話し聞いてみようかなと思って]
Haruna13:12[そういえばさっきそんなこと言ってましたね。ちょっと調べて見ますね~]
Haruna13:15[あ、これか、確かに一昨年ウェブマンガの会社を買収して、今はうちでその編集部とあとアプリ開発や修正などもしているぽいですね。開発系ならうちも関わりありそうですけど、多分別チームがやっているんだろうな~]
Shiina 13:16[知り合いいる?]
Haruna[同期とかの確認はして見ますけど・・・。先輩の同期は?]
Shiina[あー同期はちょっとね。交流無いんだ。ははは]
Haruna 13:17[そうでしたね。先輩同期と色々あったの忘れてました。確認するのでしばしお待ちを~]
Shiina[助かる!ありがとう、後輩!]
Haruna[今度ご飯おごりですよ]
Shiina[もちろん]
 
 PC画面から顔をあげ、椅子に深く腰掛け直した。
 首から提げている社員証を見て、先ほどの彼のことを思い出す。
 あのときは言葉に驚いてちゃんと彼のことを見ていなかったが、きらきらと輝いたよどみない目で椎名のことを見ていた。
 混じりけのない瞳。最初に会った時に見たマンガの女性も同じように綺麗だったなと思い返すと同時にその時の状況と彼の言葉にどきりと身体が硬直する。
 好きなわけではない。ただ一度セックスをしてしまった関係。ならなぜ、自分はここまで嘘をつき続けているのか。と、考えないわけではないが、椎名はその答えを考えるのをやめ今の状態が続くようにと晴菜の返信を待った。
 
 
 18時。
 定時から30分過ぎ去った今、椎名は晴菜に連れられて、オフィスフロアの32Fに来ていた。いつも仕事をしている30Fから他のフロアにいくことがほとんどないため、未知数のフロアであり、何の部署があるのか社内の人間でも理解できている人は少ないだろう。
 さっき晴菜に「今日定時であがりますか?なら30分余分に仕事して待っててもらえません?」と言われ、締め切りまだまだの仕事を少し手を付けて待っていたところだったため、何が行われるのか理解できていない。
「晴菜ちゃん、ここ何のフロア?」
「先輩が求めているフロアですよ」
 晴菜はそう言うと、ドアの向こうから来る人影に手を振った。
 そうすると同じように晴菜に気がついた人影がこちらに手を振りかえし、小走りでこちらにやってきた。
「市川、遅い!」
「ごめんごめん、ちょっと打ち合わせ長引いて。で、この人が言っていた人?」
 ちらりと椎名の方を見た市川と呼ばれた男性は、すらりとした細身で、もともと女子にしては背の高い椎名でも少し首を上げるほど背が高かった。
 清潔感のあるモノトーンの服に、黒髪で眼鏡を掛け、シャープな目元が優しい印象を醸し出す。開発部のくたびれた感じとは違って人と会う部署とかの人かなと勝手に想像していると、晴菜が自己紹介をしてくれた。
「こちら私のチームの先輩の椎名さんで、こっちが同期の市川です、椎名先輩!」
「ウェブコミック編集部の市川です」
「え?・・あ、開発部の椎名です」
「椎名先輩がコミックの編集について教えて欲しいってことで来たので市川指導よろ~」
「お前の頼み珍しいなと思ったらそんなことかよ。まあいいけど。興味あるすっか、マンガ」
 椎名に話を振られ「えっ」と声が少し裏返りながらも「あ、ちょっと成り行きで編集とかマンガの知識が必要で」と答えた。その回答に市川は満足してなさそうではあるが、
「ふーんまあいいっすよ。開発部にはお世話になっているし、知って貰った方が仕事になったときにやりやすいですしね」
と当たり障りの無い回答をした。
「じゃあ、椎名さん?に俺教えればいいわけ?なら晴菜はもういらねーな」
「そうですよー要らないですよー。邪魔者は退散するので」
 市川にそう言うと、今度は椎名のほうを振り返って
「ってことで椎名先輩なんかあったら市川に頼んでくれたらいいんで!じゃあ私は帰ります!お疲れ様でした~」
 と言って晴菜はひらひらと手を振り、この場を去って行った。
 
 
 二人きりになった編集部外の廊下。廊下にはたくさんの広告が貼られていた。よく見るとマンガの広告らしく、等身大のパネルまで置いてあった。
 見慣れないオフィスフロアの外観をキョロキョロと椎名は見渡していると、その状況に飽きたのか市川が口を開いた。
「うるさいやつは去ったし。で、本当は何が目的ですか?」
 市川は椎名を見下ろすように椎名の目を見た。シャープな目はにらまれているようで少し怖いと感じてしまう。
「え?」
「いや普通おかしいしょ。配属希望でも無い人が突然編集のこと知りたいって。広報とかならまだしも、しかも同期通してとかなんか訳あり過ぎて」
「そ、それはそうなんだけど」
「別にまあ普通に教えて欲しいだけならいいですけど。面倒事に巻き込まれるの勘弁なんで、女ってそういうとこあるでしょ」
「そういうところ?」
「色仕掛けとか、便宜図るために彼女になってとか何とかそういうのですよ」
 椎名はその言葉に胸が痛む。
「そんなことはしないよ」
 声がうわずっていないかドキドキしながら、言葉を紡ぐ。
「あ、あのコミック編集部の仕事の仕方とか、って広報でもないのに聞くの何って感じだと思うんだけど、私の周りでマンガ家志望の子が居て、会社のこと話したらちょっと編集者だと勘違いされて。でも何とかこうサポートしてあげたいなと思ってて、それで小手先じゃないの分かっているんだけど、どうすればいいかを聞きたくて」
「・・・その人の原稿面白いんすか?」
「え、あ、うん。一枚しか見ていないけど、すごく引き込まれて。・・・・私、就活生の時、マンガ編集者になりたかったの。それくらいマンガ好きで。でも色々受けたけど、全部最終選考で落ちちゃってで、今の仕事に就いたんだけど、そんな私が何とかしてあげたいくらいには、好きかな」
 誰にも言ったことのない過去を不意に口に出して、椎名はまた彼のことを考えていた。
 彼の絵に惚れたのは本当だ。その後は滅茶苦茶で、椎名が自分でついた嘘に椎名自身が今絡まれていて端から見たら馬鹿馬鹿しいの一言でつきる。だけど、この現状を彼に謝ることで済ますのはもうおかしいように思えた。謝ればいいのはわかる。嘘をついたのだから。
 しかし、一度期待をさせてしまったことまで椎名が裏切ってしまえばもう元に戻ることはできない。あの原稿を、見ることはできない。
 そう思ってしまえば、何だか今の状況にしがみつくしかなかった。
 自分がついた嘘にという現実に。
「だからあの、迷惑にならない範囲でいいので、編集の仕事とか教えてもらえませんか?お願いします」
 椎名は市川に向かって頭を下げた。嘘に謝ってしまえばいいものの、今の椎名の心にはあの彼のマンガがあってやりたいっていう気持ちがある。
 頭を下げた椎名の姿を見て、市川は軽く溜息をつくと、つっけんどんに言う。
「とりあえずその人の作品見せて下さい。そうしないと何も言えないですし。なんか色々椎名さんの事情とか色々あるぽいからとりあえず原稿持ってきてもらったら確認点とかそういうのは言えるんで。でも、時間定時後とかになりますけどいいっすか?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
 また椎名は頭を下げた。その姿に市川は今度は慌てている。
「ああ、晴菜の先輩ってことは俺よりも先輩だから頭上げて下さい。こういうところで頭下げられると色々噂立つんで」
「あ、ごめんなさい」
「いやいいっすよ。椎名さん、なんか嘘付けなさそうだし」
 椎名は身体を膠着させて市川に「そんなことないよ」と片言で言った。その様子を見て市川は少しはにかんだ。
「ははは、椎名さんそれって今嘘ついてます~って言ってるもんですよ。わかりやすすぎっしょ。大丈夫っすよ俺、とって食ったりしないんで、先輩には」
「へ?」
「じゃあまた原稿来たら教えて下さい~チャットで連絡貰ったら会うようにするんで~」
と言い残し市川は、編集部の居室へと戻っていった。
 何だか最後不思議なことを言われた気がするが、気にしないことにしてあとで彼にもう一度原稿を見せて貰うように電話をかけようと思った。

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