星を描くものたちへ 第二話

 彼が言葉の意味を一生懸命理解しようとしている顔を見てはっと椎名は自分の言った言葉の意味に気がついた。
 何バカなこと言ったのだろう。編集者という嘘までついて、目の前の彼を騙して、例え罪悪感が勝ったとしてもやってはいけないことだった。でも今更嘘でーすとは声を出せない。そもそもそんなふざけられる関係ではない。
 
 通知が入ったのか、スマホが揺れた。
 彼の次の言葉を聞きたくなくて、スマホの画面を見ると、そこには8時30分と画面が指している。椎名の会社の定時は9時出社。フレックス会社ではあるが、チームメンバーに何も言っていないのに急に時間をずらせるわけではないため、急いで着替え始めた。そんな椎名の様子を見て彼は驚く。
「ごめんね、出社時間もうすぐで、しないと遅れちゃうから。えーと、ここに連絡して、それじゃあまた」
 椎名は手帳から紙を一枚破り、そこに名前と電話番号を書いて彼に渡した。彼がまだ状況を飲み込めていないようで呆け顔をしていたが、椎名は頭を仕事モードに切り替えてしまったため彼の顔をちゃんと見ることもなく、ホテルを出て行った。
 
 
 急いで出社し、何とか始業時間に間に合った椎名は、席に着き大きく溜息をついた。鞄を開け、社員証を出そうと探ったが無く、どこかで落としたことを知り絶望の気持ちになった。
 これ、始末書だろうなと思いながら、水を買おうと席を立つと、後ろの席に座っている同じ部署の後輩である晴菜が近寄ってきた。
「椎名先輩、どうしたんですかー?」
と言い、椎名と一緒に自動販売機についてくる。それにしてもさっきから晴菜の顔はにやけていて、あまりいい気持ちはしない。
 自動販売機の前に立ち、交通系ICで120円の水を買ったあと、隣の自販機で社員証をかざして買う晴菜を目にして、無くした社員証のことがまた蘇る。
「え?なんか変かな?」
「変というか、昨日プロジェクトから外れたって聞いたので、大丈夫かなと思って今日慰めようかと思っていたんですけど。・・・・その様子じゃあ、彼氏にでも慰めて貰いました?」
 慰めという言葉にどきりと身体が硬くなり、椎名は買ってすぐに飲み込んだ水を吹き出し、口元が濡れた。隣で晴菜が「ああー大丈夫ですか?」と言っているが、耳には自分の心臓の音でいっぱいいっぱいで晴菜の言葉は聞こえていない。
「そんな人いないよ」
「でも昨日と全く同じ服ですよ、ほら」
 晴菜は椎名の服を指指す。思わず椎名は両手で服を覆い隠した。意味がないことは分かっているけど。
 そうするとさっきよりも口元がにやけている晴菜が椎名を肘でつつく。
「いいんですよ、先輩。誤魔化さなくて。先輩にも漸く春が来たんだなと思うと、私嬉しくて~」
 晴菜はひらりと一回転したのちに両手を万歳して満面の笑みで椎名に抱きついた。
 甘いケーキのような香りがふわりと椎名にまとわせる。
「面白がってない?」
「え?ぜんぜーん。あ、でも今日のお昼に詳しく教えてくださいね、椎名先輩」
 抱きつきながらも上目つがいでウインクをした晴菜をみて、やれやれと思いながらも「わかったよ」と言った。
 本当は「この魔性の女め」と一言言ってやりたかったが、まとわれた香水がちょっと心地よかったので、言うのをやめて晴菜の意見に素直に頷いた。
 
 
 昼休み休憩となり、椎名と晴菜の2人は晴菜行きつけのパスタ屋へ行く事になった。
 それぞれアイスティーと今日のパスタを頼み、待っている中で晴菜が昨日のことを知りたそうに顔がうずうずしていたので、椎名は一つ一つ話した。
「えー!じゃあ大学生としたんですか!?」
 あまりにも大きな声で状況を飲み込もうとするものだから「声が大きい、静かに!」と椎名は晴菜を制した。
 周りの客が椎名と晴菜の2人をにらみつけたような視線を感じたため、すませんと会釈したのち、顔を近づけてヒソヒソ話をするように小声で話す。
「大学生かはわからないけど、まだ社会人って感じじゃなかったから、多分学生。流石に高校生ではないと思う」
「ふーん。・・・・で、気持ちよかったですか?若い身体は?」
「そ、そんなのわかんないよ」
「え?覚えていないんですか先輩?」
「酔っ払ってて、それで成り行き?みたいな感じで、そのまあ、うんいや・・・」
「もったいない~折角の若い男ですよ~。身の打ち所は決めないと~」
「晴菜ちゃんそこまで考えているの?」
「もちろんです!私の夢はイケメンで、お金持ちで、・・・って先輩?先輩の話から変えないでください」
 折角いいところまでいけていたのに、くそっと思ったが、友人がいない栞来にとってこうやって気軽に話せるのが後輩の晴菜だけのため、彼女の意見に否と言えない部分がある。
「で、そのセックスしたよりも何に怯えてるんですか?」
 本当に晴菜は鋭い。椎名の言葉の本質をきちんと掴んでくる感じがまた魔性の女感がする。
「言わないとだめ?かな」
「何のために私に話しているんですかぁー?ほら早く早く」
 椎名は頼んだアイスティーを一口飲むと、今日の朝のことを話した。
 自分が好きでもない人とセックスした事実を隠したくて、ありもしない話をでっち上げで作って彼を騙したこと。(ついでに社員証を無くしたことも話した。ふーんで終わったけど)
 椎名は前を見ることができず、下を向いた。
 晴菜の溜息が聞こえる。周りの雑音にも負けない溜息が。
「つまり、罪悪感を消したい先輩は、相手の要求のためだったということにしたいと。それにうちの会社出版社でも何でもないですよ」
「そうなんだよ~、ね、なんか近くにマンガ編集者知らない?」
「知らないですよ、てか、先輩バカなんですか?さっさと酔っ払って好きでもなかったけど、セックスしました。ごめんなさいって言えばいいところを。これだから素人処女は」
「ひどい!」
「ひどいのは彼のほうです!」
 晴菜にそう言われると返す言葉もなく、「お待たせしました~今日のパスタです~」と届けられたパスタを黙って食べた。
 
 
 ランチから会社への帰り道、会社のビル近くでうろうろしているスーツ姿の男性を見かけて、晴菜は「就活生かな」と椎名に聞く。「どうだろうね」と同じく言葉を返したとき、その男性が椎名のほうを見るとこちらに寄ってきた。
「え?知り合いですか先輩?」
「・・・・もしかしたら昨日の子かも」
 晴菜は驚き、椎名の顔をじっと見つめてくる。
「あの子ですか?なら先輩謝るべきです。自分がしたことは間違っていましたって、ほら」
 晴菜は椎名の背中に回ると、椎名の背中を両手で押して、こちらに向かってくる彼に押し出した。
 数歩歩くと彼の前に近寄ったのを晴菜は見届けると、椎名たちから離れていった。
 椎名の目の前にきた彼も歩くのをやめ、顔を上げた。もじゃもじゃ髪の男の人。昨日の人だなと椎名は思いながらふと何しに来たのだろうかと思った。電話番号書いたはずなのに。
 その疑問を読み取ったのか、彼は手を椎名の前に出した。
「こ、これ、忘れ、物です」
 椎名の社員証だった。
 ホテルに落としていたのかと思い、「すいませんありがとうございます」とすぐに手を出して受け取る。そしてその受け取る瞬間、ばれたと思った。
 社員証には部署は書いていないが、椎名の名前と顔写真と会社名が記載されていた。ここに届けてくれたってことはスマホでうちの会社を調べたことだろう。そうすると、うちの会社が出版社じゃないことは一目で分かってしまう。
 はい終わりです。晴菜が言ったように潔く謝らなければいけないのだ。それなら早く、すぐに言わないと、と口を開けようとするが、彼の方が先に声を出した。
「この会社でウェブマンガ編集にいるんですか?」
「へ?」
「ごめんなさい。社員証を届けようと思ってネットで住所調べたときに、会社のホームページ見て、椎名さんの会社っておととしくらいにウェブマンガの出版社を買収してそれで今アプリ開発からマンガの編集までやっているって知ってもしかしたらそのマンガ編集ってウェブマンガ編集のことかなって」
 早口で語る彼の口調に驚きながらも椎名は思わず口から「そうだよ」と話していた。
「あ、ああそうなんだよ。さ、最近そのわたしもウェブマンガの編集部に異動して。前まではずっとアプリ開発だったんだけどね」
「そうなんですね、それであ、昨日のことなんですけど・・・、よろしくお願いします」
「え?」
「ぼ、僕、マンガ家として頑張ります、から、あ、これ僕の名前と、電話番号と、あ、あと、LINEのIDも。書いたので連絡ください。橋詰喜陸って言います」
「・・・じゃあ、これからよろしくおねがいします?」
 彼は椎名に連絡先の紙を渡すとそのままその場を立ち去っていった。椎名はその場で動けず、呆然としていた。その様子を端から見ていたであろう晴菜が椎名の側に寄ってきて声を掛ける。
「謝っているようにはみえませんでしたけど、先輩、謝りましたか?」
「いや、なんか継続というか、うちの会社、マンガ編集部あるみたいで、そこの社員ってまた嘘ついちゃった」
「はあ?」

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