自分を愛してあげる
おはようございます。
6月突入。
もう少ししたら、梅雨に突入するのかな?
6月は梅雨入りする・・・と思うのですが、その時期はその年によって大幅に違ってたりするのかな?
昨年、一昨年の事、それ以前の事をほぼ忘れてしまっている毎年です。
良い思い出はいい思い出として、ふわふわした記憶になり、嫌~な記憶は、段々と薄れて、その時の人物の顔もぼやけている・・・くらい、忘れてしまう。
いいのやら、悪いのやら???
・・・でございます。
傷ついたり、悲しかったり、苦しかったり、辛かったりしたその時は、ものすごく落ち込んだり、密かに怒りを爆発させていたりしたとしても、その感情を堪能して、次に向かえば「あ~、あんなこともあったな~。」という思い出になりますね。
思い出にすらならないことも、いっぱいあります。
(ど~でも良いことだと、思う。)
過ぎてみると、なんであんなに悲しかったんだろう~とか、腹が立ったんだろう~とか笑ってしまうこともいっぱいありますね。
その時は、その感情に向き合って、自分の内面を覗かなきゃいけなかったのでしょう。
自分の内面が外側に現れているからですけどね。
でも、そんなこと知りもしない時は、その感情は自分の内面の現れとは思いもせず、外側のせいにしてばかり。
だから、その時の状況を形を変えて、また、体験したり。。。とその繰り返し。
ある状況にモヤモヤしていたとして、そこに疑問や不安を抱いていたとすれば、自分のハイヤーセルフが体験させてくれたり、何かの氣づきを得るために、自分のハイヤーセルフがわざわざ体験するように促したりしてるな~というのを実感することもありました。
氣づきを得ることが出来ると、その物語は終わることが出来ると思っている私です。
エゴちゃんが出てきて、行く道からそれてる時も、「そっちじゃないよ。」とお知らせしてくれるソウルメイト。
ずっと氣づかないで、頑張ってると、めっちゃ酷いと思えるようなソウルメイトが登場。(本音で言えば、この人、めっちゃ嫌い・・・)
あと、浄化しなければならない事柄に出会った時も、外側というよりは、自分の内面にヒントが隠されていると思ってます。
でも、そこって、見ないようにしていたり、忘れようと思って忘れていたりしてることもあるから、氣づきにくいです。
日々、時間に追われるように過ごしている人が多いであろう現代人ですが、たまには、自分の氣気持ちに向き合う時間も必要ってことですね。
そうすることが、自分を大切にしてあげることなんだろうし、愛してあげることになるんだと思います。
頑張ることが美徳とされた土の時代。
自分の身体や心の声を無視して、氣づかないふりをしていたかもしれません。
もしくは、それさえも氣づいてあげることが出来てないとかね。