祖父

木曜日の早朝、祖父が亡くなった。95歳だった。急遽、全ての予定をキャンセルして、祖父がいた兵庫に新幹線で向かった。最期に会ったのは5月。そのときから、あまり体調は良くなさそうだったが、お酒が好きな人で、そのときもビールを1杯だけだが飲んでいた。6月に入ってから元気や食欲がなくなっていき、95ということもあり、老衰に近い状態だったが、亡くなる前日に肺炎に罹り、そのまま亡くなった。死因は老衰から肺炎に変わった。過程よりも、結果を重んじる日本らしさを感じた。葬式に参列するのは、人生で2回目。前回は、中3のときだった。

川本家は、毎年、元日に親戚50人くらいが一堂に会することが、恒例になっていた。親戚50人もいると、正直誰が誰だか分からない。川本の血ではない人も何人かいたかもしれない。中3のとき、その川本家の長、1番偉いであろう方が亡くなった。それが人生で初めての葬式だった。正月にしか会わない、しかも、僕は毎年その会に出席していたわけではないので、恐らく10回程度しか会っていない、その人が、僕にとってどういう関係性の人かも分からない、そもそも下の名前も知らないっていう、激薄の関係性でありながら、中3という思春期全盛期の中、人目を気にせずギャン泣きしていた。今、思い返すとなんであそこまで泣いたのか本当に分からない。ただ、めちゃくちゃ泣いていた。そのときは、式だけ参列して納骨などには行かなかった。ただ、めちゃくちゃ行きたくて親と若干揉めた。

今回は、祖父という明確な関係性、当然名前も知っている。ただ、あまり泣けなかった。ゼロではないものの、前回と比べたら全然平静だった。要因はいくつかある。一つ目は残された祖母の憔悴っぷりを見てしまったこと。何十年も、一緒に二人で暮らしていた中、祖父が亡くなり、一人遺された心中は容易に想像できる。祖父が亡くなった悲しみより、祖母への心配が先行してしまった。二つ目は、祖父の遺体を触ったとき、想像を絶する冷たさだったこと。遺体を触ったのは初めてだった。当然、冷たいということは、理解していたが、血が通っていないという事実より、こんなに冷たくなってしまうんだという、驚きの方が強く感じてしまった。
また、納骨のときも、同じような理由で泣けなかった。人骨を初めて見たため、骨だけの姿になった姿を見て、衝撃の方が勝ってしまった。これらの理由から、名前も関係性も知らない前回の式の方が泣けた。

色々、葬式の書類を見ていたら、葬式費用の見積もりが出てきた。想像の何倍も値段がした。正直、5万とか10万くらいでできるものだと思っていた。そのお金は誰が払うのかは僕には分からない。遺産は、葬式の頭金に使われるものなのかと遺産に対する考え方が変わった。そんな週末。


毎週、月曜日に更新していく予定です。推敲等せずに、思ったことをダラダラ書いているだけのため、かなり拙いですが、読んでいただきありがとうございました。また次週。

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