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知的障害の息子⑥〜療育とK式発達検査〜


週一の療育を丸3年続けました。

年に一回、K式の検査を受けます。

年少 75
年中 65
年長 55

見事に毎年数値が下がっていきました😂

たとえば言葉がなかなか出ない•増えない等の発達に悩むご家庭は、保健師さんからよくこんなことを言われますよね。

「今は言葉を溜めてる時期。ある日突然コップの水が溢れるように突然言葉が出て来るから。だから今は言葉のシャワーをかけ続けて。そのうち、もううるさいっ‼︎てくらい喋るよ」

そんな日は来ませんでした😂笑

しかし数値は散々ですが、それでも少しずつ、少しずつ成長していきました。

このあちこちで擦り倒されているコップの水理論は、「※健常児の場合」って注釈をつけるべきですよね。笑

あとは発達に悩んでるというと

「親戚の子も遅れてたけど今、普通だから大丈夫だよー」

「男の子は遅いからね。そんなもんよ、大丈夫。」

「岡田准一は3歳過ぎて初めて喋ったらしいよ〜」

と何故が岡田准一の例、出てきがち。笑

会ったこともない他人の例を信じるよりも、ネットで検索魔になるよりも、自分の直感を信じて、何度でも何度でも相談に行くことを心からお勧めします。

私は3歳半検診でようやく療育を勧められたこと、春から療育に通う話を義実家でした時に罵倒されました。

「ロクに子育てもしてない保健師の指示になんか従うな」

「診断書書いた医者もヤブ医者だ。2度とその病院には通うな。」

「そんなキ◯ガイの通うところに連れて行くなんてお前もキ◯ガイだ」

「そんなところに通ってると近所の人に知られたらどうする」

「うちの血筋にはそんなおかしな血のやついない。お前のとこの血だろう。」

こんな酷い言葉を浴びせられているのに、夫は目の前で飛び交う親の怒号を知らんぷりして、ずっとテレビを見たりスマホでパズドラをしていました。

義両親が怖く、私を守るどころか無視し続ける夫。そして話にならない義家族。

「無視なんかしてない。聞こえてなかった。」

そう夫に言われた時、心が冷え切る思いでした。

療育に通ったからといって、もちろんあの保健師が言ったように、魔法のようには伸びませんでした。

素人目には療育の良し悪しが分からず、なかなか伸びない子供の成長に「療育施設を変えた方がいいんじゃ…?」とやきもきすることもありました。

ただ、我が子は療育が大好きでした。
療育の先生が、遊びが、大好きでした。
週に一回の大事な「お楽しみ」でした。

保育園もとても良い園でしたが、年々発達年齢と生活年齢の乖離が大きくなるにつれて、

子供なりに疲れもあったようです。

そんな我が子にとって療育はホッと出来る場でした。

それだけでも私は行かせて良かったと思います。


保育園で毎月お誕生日会があり、
その時の歌やダンスを映像で流してくれる園だったのですが、

年少•年中•年長と学年が上がるにつれて

「あ、この子ちょっと何かある…?」というのがよその保護者さんからも分かる感じになってきました。

歌の途中で自分の世界にトリップして棒立ちで数秒休んだりするんですね。

そんな子、年少くらいなら全然いるんですが徐々にやはり減ってくるので我が子が目立ち始めます。笑

お誕生日が来るたびに、生活年齢と発達年齢の乖離がどんどん大きくなり、

最初は半年遅れだったものが、1年、1年半、2年…と、年長になる頃には3年遅れでした。

誕生日が来るたびにどんどん遅れて行くので、私にとって子供の誕生日は1年で1番辛い日となっていました。

それでも、【この子は一生歩かない•喋れない•オムツも取れない】と思い込んでいた我が子が

かけっこで一等になり、「お母さん大好き。結婚したい。」といい、

「僕って可愛いよね、写真撮ってもいいよ。」とおどけて笑い、

「トイレ行ってきまーす」と自分でトイレを済ませて帰って来る日々は、楽しく幸せです。そして今も。

多動や癇癪•パニックも無い子なので、障害児なのに変な話ですが「育てやすい子」です。

正常な発達ではないので、幸か不幸かイヤイヤ期もなく、幼少期の子育てで苦しんだのは夜泣きくらいでした。

大人しいので、遊びに行くのも外食するのも、幼少期は何の不便もありませんでした。

障害児の子育てが毎日闇堕ちかといえば、そう言うわけでは無いんですね。
普通に幸せを感じることが出来ました。

もし療育に通うことを迷っている人がいるとして、周りの無理解な人達の言葉に傷つけられていたとしても、

親の直感を信じて、子の幸せを信じて、

一歩踏み出して欲しいと思います。

よく「毒にも薬にもならない」と言いますが、
もちろん我が子は劇的な成長は見せませんでしたが、
子供の心の薬にはなったと思っています。

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