柱にはなれなくても
書くものが抱える永遠の課題があります。
世の中にはあるテーマについて詳しい人がたくさんいるのに、素人の私が書いても良いのか、書き手が悩む問題です。「お前が言うのか」という自問。
例えば、興行成績絶賛更新中の「鬼滅の刃」にかこつけて、地方財政や組織についてを書こうとします。
この国民的アニメには熱狂的ファンが多数おり、裏設定までネットで議論されています。
その熱量にはただ圧倒されるばかりです。
このアニメには呼吸により人間離れした能力を持つ柱が登場します。並みの鬼では相手になりません。
ただそんな柱でも、3人がかりで死ぬ気で当たらないと倒せない「上弦の鬼」がいます。これに相対するにあたり、周りにいる柱でないものは不要なのか。存在価値がないのか。
劇中で、炭治郎はどんな者でも役立つことができるはずだと訴えます。
これを自治体の財政運営に当てはめた場合、財政課より上の経営陣だけが必死に頑張れば良いのか、情報を独占していれば良いのか、下は盲目的に従えば良いのか。
違いますよね。
それぞれの立場で末端まですべきことはある。
正しく情報を上げ、然るべき人が判断を誤らないように条件を整えて行く。
予算を要求しておきながら、本当にこの内容で良かったのか、予算案が議決されたとしてもまだ出来ることはないか。
多少なりとも問いかけながら事業を実施していく。
現場の苦悩を些細なことと切り捨てる柱はいません。
鬼滅の刃と財政の問題や組織の問題を結びつけて書いても良いですよね。
この時に生きて、その人が経験した結果培われた審美眼でしか書けない記事はあるはずです。
なにより山の大きさに萎縮して書く手が止まるのはもったいないし、それでも読んでもらえる内容にしていくのは、話題の選択ではなく書き手の姿勢です。
書き殴りにならないように気をつけないといけませんが。
追記
でも渦中の話題作を取り上げるのは勇気が要りますね。柱についてGoogleで検索するだけで、驚きの質と量でヒットしました。
私の記事はご笑覧下さいの心境です。
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