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ヨルシカ「左右盲」に「忘れてください」から流れ着いた

映画を見て、歌詞がスルスルと降りてきて氷解した経験は初めてだ。多くの素材が絡み合っているのに、邪魔をせず一つの世界観を形成しているのは驚きだった。

映画「今夜、世界からこの恋が消えても」の主題歌

ヨルシカの「左右盲」は、恋人のことを少しずつ忘れていく過程を、右も左も分からなくなる状態に例えている。歌詞を読んで、解説動画を見て、それなりに分かった気がしていたが、映画の効力は格別だった。

「左右盲」は、映画『今夜、世界からこの恋が消えても』の主題歌。この映画は、一晩寝ると前日の記憶が無くなってしまう「前向性健忘」を患うヒロインと、彼女の毎日を楽しくしようと尽しながら心臓の病気で亡くなってしまう恋人との交流の物語だ。

「左右盲」の歌詞は、映画の世界と密接にリンクしていると思うと納得感が高い。

ドラマ「アンメット〜ある脳外科医の日記」

記憶が無くなる症状は、2024年春のテレビドラマ「アンメット〜ある脳外科医の日記」のヒロイン川内ミヤビと同じだが、ストーリーは全く異なる。2つの作品を重ねると格別に味わいが増す。

月9「海のはじまり」

また、この映画の主演ではないが、ヒロインの親友役で古川琴音さんが恐るべき存在感を放っている。準主役ながら誰もが唸る演技だった。2024年夏の月9「海のはじまり」でも、唯一無二の演技を見せている。なんとなく、役柄が繋がっている錯覚すら覚えた。

きっかけは「忘れてください」

何年も前にリリースされた「左右盲」にたどり着いたのは、ヨルシカの「忘れてください」の動画からおすすめされたからだと思う。忘れてくださいといいながら忘れられない様子を歌った楽曲と、今回の嫌でも忘れてしまう「左右盲」の世界は親和性が高いのだろう。

歌詞が降りてくる体験

メディアミックスとよくいうが、左右盲の歌詞は、映画やドラマ・解説動画・複数の楽曲が絡み合って腑に落ちた。

君の右手は頬をついている

冒頭からの歌詞で彼女の様子を観察していて、右左の区別が分からなくなるのは男性の方だろう。

一つでいい
散らぬ牡丹の一つでいい
君の胸を打て

翌朝起きても、前日の記憶が消えないように君の胸を打つことをしたいと、
心から願っている姿が目に浮かぶ。映画の内容がまさにそうだからだ。

右も左もわからぬほどに手探りの夜の中を
一人行くその静けさを
その一つを教えられたなら

これも、毎日を楽しい思い出で埋め尽くしたいと考える主人公の姿が見えるよう。なんとかして生きる支えを残したい、という純度の高い想い。

それなのに、死後には自分との関わりを書いた日記を処分してくれるように依頼するなんて。揺れ動く思いは、どちらも本音なのだろう。

そして、左右が分からなくなるのは、彼女を見ていた彼が徐々に死に近づき記憶が薄れていくことも暗示していると感じる。

君の右手にはいつか買った小説
あれ、それって左手だっけ

映画を見ると、この小説が文芸雑誌に収録されていたお気に入りのものだとわかる。主人公は姉が書いた作品を読み続けていた。後に芥川賞を受賞する。

オスカーワイルド『幸福な王子』

この曲には、オスカーワイルド『幸福な王子』の世界も埋め込まれている。

剣の柄からルビーを、この瞳からサファイアを
鉛の心臓は多々傍らに置いて

この文学作品の中で周囲の貧しい人に自らを飾る宝飾品を与える姿は、この曲で記憶障害のヒロインに献身的に尽くす主人公の姿そのものだ。鉛の心臓だけが残って死んでしまっても、ヒロインに分け与えた想いは消えはしない。映画でも記憶が無いはずなのに、死んだ主人公の絵を描き続ける描写があった。

また、曲のバックでヒュンヒュンと泣くのは、宝飾品を運び与える燕の描写だとの解説も見た。

曲の最後に視点が変わる

これまで男性目線で綴られてきた歌詞が、最後だけヒロイン目線に変わって終わる。

貴方の心と 私の心が
ずっと一つだと思っていたんだ。

記憶障害で覚えていないけれど、日記の中でしか会えない彼だけれど
アンメット風にいえば、強い感情は残る
彼が亡くなって記憶が無いはずなのに、毎日彼の絵を描いてしまう。
そして、絵を描くことも生前の彼が背中を押してくれたことだ。

今は喪失感に打ちひしがれていても、多くを残してくれた彼との記憶は、強い感情となって刻まれ消えることはないだろう。これからも彼女を支えてくれるはず。

一つの曲にこれほどの情報が詰め込まれて、あるとき結びついて一斉に氷解する。想像を絶する意趣で構成された楽曲だ。

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