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【父への思い】飽きっぽいから、愛っぽい

子の父へ対する思い、娘を持つ父の思い。
岸田奈美さんの「飽きっぽいから、愛っぽい」は両方の立場から読める本だ。

「仕事辞める前は、私が寝てからしか帰ってこなかったね」

先日、私の娘が口にした言葉でハッとした瞬間だった。前職ではいつまでも終わらない仕事に追われ消耗していた。今しかない子育ての時期にちゃんと向き合えない後ろめたさ。世の中の親がすべて時間をかけて向き合ってるわけではないが、私は時間を増やすことを選択した。娘が親と過ごした時間をこの先も覚えていてくれればいいが。

ところで、この本では岸田さんのお父さんの話がメインで、弟さんの障害の話はそれほど出てこない。岸田さんの代名詞は、姉弟のこころ暖まるエピーソードだと思っているが、今回はお父さんへの思いがあふれている。急逝してこれだけ思われるのは愛情が深すぎる。忙しい合間を縫って姉弟、そしてお母さんを含めた家族を楽しませてくれたお父さんの様子から、家族への愛は一緒に過ごす時間の長さだけではないと気づかせてくれる。

しかし、お父さんだけが好きかといえばそうでもない。身体の自由がきかないお母さんや弟さんへの愛情もうかがい知れる。すてきな家族に囲まれて奮闘する姿がユーモラスに描かれているのは、noteのキナリマガジンと同じだ。ただ暖かくなるだけではなく自分と向き合い、読者と共に学びを得ていく様子は普通のエッセイにはない魅力である。

家族との関係も時間と共に変化する。かつては岸田さんのおばあさんの微笑ましく突拍子もないい事件が魅力だったが、認知症が続くとそうも言ってられないようだ。ずっと過ごしてきた家族が変わっていくのはおそろしい。尊重しつつも負担になっている私の身にもつまされる。しかし、これも時が経てば、彼女のペンで料理されることだろう。

私の父は、私が就職した年に亡くなった。突然の激流に振り返るひまも無く翻弄されたが、30年も経つと父の思いを慮る機会も増えてきた。お酒が好きで何でも言うことをきいてくれる父を一面的にしか見てなかったが、わがままを聞いてくれた裏にどんな思いがあっただろうか。娘の成長と同時に、私自身が父の思いを学んでいく機会でもある。

岸田さんはお父さんからボンダイブルーのiMacをもらったそうだが、私は娘にiPhoneSE2を与えた。ネットに入り込む弊害よりもその先に広がる可能性に期待して。これから先、この本のように娘が私を思い出してくれるとうれしい。

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