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【書評】共感という病

人は分かり合えない生物なのに、巷にあふれる共感の嵐。
しかし、戦地でテロ組織からの社会復帰を支援する著者にとってはそんな簡単なものではない。
話の通じない相手と身の危険を感じながら、成功するかもわからない「戦略的対話」を試みる。成功することもあるだろうが、完全な共感なんてありえない。その苦労は並大抵のものではないだろう。

さて、私たちが日常で接する共感とは何か。
個人の小さな活動が全世界に広がり、大きな効果を生む。
そこまでいかなくても、SNSの投稿に「共感しました!」と善意の輪が広がることもある。

一方、恐ろしい面もある。
ひとたびネットニュースで炎上するや、早速、感想の共有が始まる。
それから個人攻撃が始まり、総叩きが始まり悲しい結果を招くこともある。
周りの声なんて気にしないと思われる人物でも、早晩、謝罪に追い込まれる。それでも攻撃は止まらない。

また、災害やイベントでの共感という同調圧力に辟易することもある。
「絆」、「がんばろう」、「多様性」、「共生」......
コロナ禍の自粛警察は端的な例であろう。
口先では共感としながら、違和感を感じることもある。

いっそのこと、共感というものは存在しない、と思った方が良いのかもしれない。著者の言うとおり、人は分かり合えないものだからだ。

だがこの本の救いはここから。

人は分かり合えないものだから、それぞれが妥協しながら最低限のところで合意する。それが世の中を動かす最大公約数なのだ。
それでも、物事が動かないよりは100倍も良い
政治、宗教、心情などのナラティブを持つ人のアンタッチャブルな部分には触れずに、人の心を動かす。これは人心の妙であり戦略である。
この「戦略的」対話のための努力は日常にも必要だ。戦場やテロの現場だけではない。
活動を広めたいと思うとき、一人が動けば期せずに、周りの人やまだ見ぬ人を動かす奇跡が起こるかもしれない。それが実現すれば大きな喜びであろう。

ガラス細工の共感という暴風雨に、世の中が気付きはじめている。
といいなと思う。


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