見出し画像

算数が嫌いになったとき

私は数字が嫌いだ。算数や数学にはできれば接したくない。
どうしてなのか振り返ってみた。

呼び止め事件

確か小学四年生のとき。
廊下で先生に呼び止められて言われたのが忘れられない。
「この前の試験はどうした。点数悪かったな。」

衝撃の展開。
まだ返されてもいない算数の答案用紙。
何点だったのだろう。
どんなことが起こったのだろう。

結果は70点だったと思う。
答案を見返すと、原因はほとんどがケアレスミスだった。

理解できてない訳ではなかった。
次からは見直せば大丈夫だろう。
算数以外の教科は言われたことないのに。
この出来事が記憶に残っているということは、トラウマとなったのかもしれない。

後年、当時の同級生が当時のことを振り返って、私のことを小学校在学中の途中から勉強のできる奴から変わった瞬間があった、と評されたことがあった。
彼が言うには、ガリ勉でできるタイプから頭が良くなったと感じた瞬間があったそうだ。
念のため言うが、頭はそんなに良くなかった。ここ笑うところ。
ただ、変わった瞬間があったとしたら、本能のままに回答していたときよりも、ミスをしないように周到に注意を払っていたときの方が評価されていたと言うことになる。あくまでも友人個人の感想だが。

答えがない事件

話は6年生のときに変わる。
当時から進○ゼミを受講していた。受講は大学合格まで続いた。
月一回の赤ペン先生の算数のテストがあり、答えられないまでも翌月号の回答を見て道筋を納得するようにしていた。
そのうち、解説を読んでも納得できない問題があった。
担任の先生に聞いても、先生も答えへの道筋が分からなかったのだ。
なるほど、こういうところはセンスが存在するのだと思った。
いわゆる、わかる人にはわかる問題があると妙に納得した。

それでも人並みに

算数に苦手意識が芽生えつつも、中学卒業までは授業内容は理解できたし、ケアレスミスを気をつければ点数も取れていた。
一方、国語や英語など他の教科には自由を感じてのびのび接していた気がする。今思えば同じようにつまらない失点をしないように注意していたのは同じだろうが。

高校生

高校生になると、数学は全くやる気がなくなる。
あんなに時間のかかる問題を、紙いっぱいに書いて解かないといけないなんて信じられなかった。
自力で答えられなくても、解法の理解はするようにしていたが、高校数学の試験では歯が立たなかった。
担当教師にはなぜ他の科目のように数学を勉強しないのか、と度々言われたが、嫌いになったものは仕方がない。どうしても気持ちが向かないのだ。

数学から離れる

大学入試ではとにかく数学が入試科目から外れているところを受験した。
当時、今日にあった分野の大学に数学がなかったことから、そのまま進学してしまう。そして数学ができる人を尊敬するようになる。

就職してから、課税計算をするようになり、数字が嫌いな私でも計算機を叩けば正しい答えができることに驚き、当たり前だが、もしかして数字に強いかもと錯覚する時期もあったが、それは業務に慣れていたからであって、強くなった訳ではないと気づくのに時間はかからなかった。

その後、そんなに数学の力を借りることもなく過ごすことができたが、簿記検定の試験で数字と向き合うことになる。
特に簿記2級の工業簿記は数学の世界である。
とは言っても、中学校一年生の連立方程式レベルなので問題ではなかった。
私にもわかるんだとほっとした。
多分この先に進むと、数学的要素が大きくなってくるのだろう。
図形がどうだ、直線の傾きがどうだ、曲線もありうるとか見え隠れするからだ。

最後に

今回の話に特にオチはないのだが、巷では学び直しが流行っているという。
大人が学ぶ数学、のような書籍が書店に並んでおり大人が買い求めるらしい。周りにも学び直している人がおり、その向上心に頭が下がる。
なぜ苦手意識を持ってしまったのか、数学ができれば人生は全く変わっていたかもしれない。変わっていなかったかもしれないが選択肢は広がったかもしれない。

今度生まれてくるときには、数字アレルギーがありませんようにと願う。
いや、違うちがう。
ふとしたきっかけや、積み重ねにより残念な結果をもたらすことがある。
実際には他に原因があったのかもしれない。
興味のあることが大きすぎて、数学にまで手が回らない子だったかもしれない。
算数嫌いの真相はいつかわかるのだろうか。ミステリーである。

サポートをしていただけると泣いて喜びます。