見出し画像

リストラで学んだこと

パンデミックから半年…なんていう記事からさらに遠のくこと1年半
ありがたいことに体調も精神的にも元気に
コロナ禍とはいえ忙しく過ごしていたのですが

この数日、昔のことが突然脳裏をよぎることがあり
(多分夢に忘れていた古い知人がでてきたから?)
そういえばあんなこともあったんだなぁ…
あのときはどうやって乗り切ったんだっけ。

というわけで、記憶の引き出しを整理するために記述します。

人生で2度も会社をクビになった私

いや、離婚もクビのひとつと数えたら3度?笑
そう考えると私って…

とにかく、人生でそんなにクビを経験した人っているのかしら。
どれだけ社会不適合なんだ??

一応自己弁護をしてみると
全く仕事ができないとか
コミュニケーション能力がないとか
そういうことはないと思うのです。
だって
アパレル時代は売れ筋商品いくつも作ったり
会社ではそれなりに責任者と言われるところまで昇進したり
EQテストでも社内一高得点だったんだから。

とはいえ、なぜこんなに解雇経験が多いんだろう。

はじめてのクビを言い渡されたとき
悔しくて悔しくて、きっと私をクビにしたことを後悔するから!って心の中で啖呵きった記憶がある。
その悔しさを数年引きずって、時間と共に思い出す頻度が減るにせよ
ことあるごとにいやな感情とともに意識の上に浮上した。
忘れたつもりでいても、何度もぶり返す熱のように。

2度目のリストラでは、強がる自意識とは裏腹に
強い自己否定を感じていたと思う。

自己否定と自己嫌悪

クビの理由はそれぞれ。
最初の解雇を経験したのは、企画室のデザイナーとして勤務していた子供服メーカー。
不思議なことに入社早々から社長の態度はおかしかったと記憶してる。
朝の挨拶もなぜか私だけ無視され続けたし
(面接したの社長本人なんだけどな)

ボーナス査定の額も、1年あとから高校中退入った取引先から預かった男の子以下(要は社内最下位)

3度目のボーナス面接時(この会社は社長面談の上ボーナス手渡しという風習があった)に
息子(当時5歳)の喘息発作などで遅刻や欠勤が多いことに触れ
「平均すると毎日○分遅刻してるのと同じ。
それで高い給料を払うなら、何も出来ずハイハイっていうこと黙って聞く若い女の子雇った方がいい」からということだった。
仕事的には、ブランド内で自分のシリーズも与えられ、それなりに売れ筋は作り続けたはずだけど、当時社長は誰でもできると思っていたらしい。
(後に元同僚から、社長がこのことを後悔?していたと聞いて、心の狭い私はざまぁみろと思った)

2度目は、オーナーシェフの小さなイタリアンレストラン。
わたしはホールスタッフ。
もともとは会社員時代にアルバイトで入ったお店のリニューアルオープンに向けて、オーナーからスカウトされて社員として転職した。
開店準備中に新しいお店のスタッフ全員をイタリア研修旅行に連れていってくれるほど高待遇だったけど、その旅行時にいちど軽く意見をしてしまったのがきっかけになったみたい。
意見した内容は、私より前からバイトに入っていた女の子からの相談を代弁したものだった。
そして店が開店して数ヶ月で、シェフ持病の糖尿病悪化。

やがて私だけ無視されるようになり
トイレ掃除をしている間に他のスタッフにだけケーキをあげるとか、まるで小学生のいじめみたいなわかりやすい態度を数ヶ月受けた。
さすがに前述の女の子が「なんかシェフ最近へんですね」というくらい。

不思議だったのはもう1人のキッチンスタッフで
彼は私が紹介して入った料理人。
なぜかシェフの反応に合わせて彼も私を無視しはじめた。

そしてさすがに自分でも精神的限界を感じはじめたある日
シェフから、閉店後に少し時間をもらえるかと言われて近くのファミレスで解雇を言い渡される。
理由は
「きみの給料は他の人より高いから、払い続けるのが経営的にキツくなってきた」
私の給料はあちらが決めたもので、私から条件を出した覚えは一切なかったんだけど。


どちらも表向きの理由は給料
(とはいえ、いうほど高給ではなかったよ。生活保護よりは少し多い程度)
でもそれ以外にも決定的な理由があって
それは社長(オーナー)にとにかく嫌われたこと。

この経験によって徹底的に自己肯定感が揺らいだし
私が何をしたというの?!という怒りと共に
自分は人に嫌われる、という自己嫌悪が
認めたくないのに心に中にシミのように張り付いた。

克服はできるのか?

本当に長い時間引きずって生きていたと思う。

心に張り付いたシミは、本当に何年もの間たびたび浮き上がってきて
(忘れたころにふと鏡に映った顔のシミが目に入るみたいな)
そこでまた自己嫌悪もぶり返すことの繰り返し。
平気なはずなのに思い出すと胸が締め付けられるいやな感じ。
そして気づく。自分は強がって平気なふりしていたんだなって。

何を言いたいかっていうと
克服なんてしようとしなくていいんじゃないかということ。

克服しようとすると「自分はもう気にしていない」というスタンスをとらなきゃいけなくて、それって本心(感情)とは違うことだから、表面だけを繕うことしかできない。
取り繕うってものすごくエネルギーが必要なこと。
なぜかというと、前述したとおり自分の本音(感情)と違うことを全面にだすのっていわば都合のいい嘘をつくのと同じだから。

自分に嘘をつなかきゃいけないので罪悪感(言い方を変えると別の自己嫌悪)が発生してしまうという構図。
自己嫌悪を消そうとして別の自己嫌悪を上書きするなんて、コスパわるすぎませんか?


自分に置き換えてみる

相性というものが本当にあって
わけもなく言動にイラついてしまう対象っているもの。
なぜだかいちいち気に障る人。

*どうやら、大脳辺縁系という脳の奥深くにある本能や情緒、自律神経を制御する場所が反応してるらしいぞ生理的に無理ってのもこれかも。

初対面の時には全然わからないし、なんならある程度距離のある関係のうちは、共通の会話もあったりしていいかんじ。
でもある一線から内に入ったとたんに、なにか違和感を感じてしまうことってある。

と考えると、面接程度の接点でこの相性の良し悪しを見抜くなんて無理な話しで
『自分で面接して雇っておきながら、顔も見たくない状態』ができあがる理由もわかる気もする。
大きな会社なら、直属にならない限りこそんな接点はないけれど、私がクビになったのはどこも従業員10人以下の小さな会社だったから。

冷静に考えると、当時は理不尽だと思っていたことも、私自身が相手にとって気に触る言動(言われたくなかったひとことや、聞かれたくない質問など)をしていたということだったんだろうなとわかる。

例えば、最初の子供服メーカーの社長には
入社して間もない頃に社員へのアンケートがあって、あろうことか私は社長に対して「挨拶したときにもう少し明るく大きな声で返事をしてもらえたら嬉しいです!」なんて書いていた。。。汗
(自分が言われたらイラッとするかもね)
もしかしたら彼は馴染むまで人との距離がとれない奥手な人だったのかも?
(ま、もと大手子供服の営業部長だけど)

さらに、デザイン以外の事務仕事を頼まれた時に「これはどういう目的で作りたい表ですか?何の集計が一番とりたいですか?」と聞いて
「黙って言われたとおりにやればいいんだよ」と返されたことも。
この場合、雇ってる以上給料がもったいないから何か実務を、というつもりの、意味のない指示だったのかも。
(企画の仕事って雑誌みたりリサーチで街ふらついたり遊びからのインプットが大きく影響するけど、彼は知らなかったのかな)

レストランでは
接客力を見込まれて週末のバイトから社員にスカウトされたハズだけど
当時彼は自らインシュリンを注射しながらの営業で
そんな状態だから時折味がぶれる(得に塩気が多すぎる)こともあり
接客している私がお客様からのクレームを取り次ぐことも多く
お客様はほとんどがシェフの味に厚い信頼がある常連さんだったから、
私に店を乗っ取られると語っていたらしい。
しかも糖尿病の悪化による症状のひとつに「被害妄想」があるということを後々知った。
病気の症状では、どうしようもない。
(食事もアルコールも全く我慢していなかったから悪化は自己管理次第だけどね)

違う面を見るとわかること

それでは全ての勤務先でそんなに嫌われていたのかというと
社長と意気投合したり目をかけてもらうことも度々あったわけで。

ただ、社長に気に入られて中間管理職に嫌われることが多かったのも事実。
結局嫌われてるw
レストランの支配人時代、店長や料理長に嫌われて、オーナーに私が行動を訊さなければ辞めると直訴され、「あいつらのいうことは、表面的にはある意味正論(主に出社時間)だから、といあえず黙るように行動をなおせ」と言われて
彼らが気に入らないのは所詮私が女だからという前提なんで、なにを正したところで変わらないと思う。
私がいなければ彼らがちゃんと働くというのなら、私が辞めれば解決でしょう?と言ってその日に退職したりした。
なんと傲慢w
こんなふうに解雇ではなくても、実質解雇だったよね?ということも実は何度か。
そのどれもが、雇い主が私を扱いきれなくなった時だったのがわかる。

逆に、私のモチベーションがあがらず辞めた場合もたくさんあってその時私が思っていたことは、愚痴をいいながら給料もらうくらいなら辞めてしまおう。だった。
自分の(出資している)会社でもないのに、自分に都合のいい要求をするのは違うなと。
でも会社側が困ったこともあったと思う。
それは、私がいないと困るという意味ではなく、いきなり辞めたら次の求人がくるまで穴があくわけで、求人に出すにもお金はかかるから。

自己評価は自分が思っているより高く持ってもらいたいというのも人という生き物で、だから自分がやめたら困るでしょう?と思いたい。
思いたいから、社員同士で愚痴を言い合い、会社が間違っているということにしてやり過ごす。

でもね。どんなに優秀な人材だろうと、いなくなったらそれなりに現場は対応していくし、会社は関係なく動いていくのも事実。

自分ひとりがいなくなったら世界は変わるのか?
そんなことはないと、きっと誰もが心の奥では知っているけど、そうじゃないと思いたいだけ。

ここでも、本音(感情)と現実のギャップで自分に嘘をつく状態なわけだから、これを続けると苦しいのは当たり前。
だから私は、会社に少しでも疑問を持った時はすぐ辞めていた。(おかげで履歴書の職歴欄が足りなくなり最後はハショリました)

「川の向こう側とこちら側は見えてる景色が違うことを理解しろ」

以前勤務していた会社の社長から経営者教育を受けたときに聞かされた貴重なことの一つ。
雇う側と雇われる側のあいだには広い川のような意識の差があって、同じものを見ながら見えている状況が違うから、相手に何が見えているのか理解はできなくても知っておけ、そして違うということを理解しろ、ということだったと思う。

学生時代のデッサンを思い出し、見る角度が変わるとカタチが変わるという当たり前のこととイコールになったときに、この意味を深く理解したのを覚えてる。

変えられるのは自分のことだけ。

経験上、権利の主張は往々にして自分勝手なことが多いと思ってる。
経営者でなくても、中間管理職ならその経験はしてるんじゃないかな。
バイトですら、後輩の言動でそう感じることもあると思う。

でもなぜか、立場がかわると意見も変えてしまう人がとても多い気がするのはなぜだろう?

答えは、そのほうが楽だと思い込んでいるから。

自分で選ぶってことがなぜこんなに難しいことになったんだろう。
やることも続けることも辞めることも、実は全部自分が決めていて
”誰かの言った通りにする”ことすら、自分でその意見に従うことを選んで決めているというのに。

自分で選んだ結果だとわかると、全ての出来事に納得がいく。
誰かのせいだと思うと、悔しかったり悲しかったりどこにぶつけたらいいかわからない気持ちに振り回されて消耗するのに
自分が選んだと自覚できれば、失敗は修正できるし、修正したくない考え方だったら居場所を変えるだけで変わったりする。
どれも自分の動きを変えるだけで、他者を変える必要はない。

わかってほしい
評価してほしい
好かれたい

どうしてもこの感情が湧いてきてしまうけれど、他人の受け止め方をこちらが調整するなんてできないこと。
生まれた時から付き合ってきている家族ですら100%自分の望むような感情を自分に対して持ってくれることなんてない。

そもそも
自分が望んでいるカタチなんて相手にはわからないんだから。
自分が他人の望んでいることがわからないように。

もし自分以外の誰かの望みを完全にわかっているなんて言う人がいたら、それは神か超能力者か詐欺師です。
自分がわかっているつもりでも、本当に完全に理解しているのか確認する術なんてないでしょう?

結局、変えられるのは自分のことだけ。
自分の行動や考え方が変わったことで変わる世界はあっても
”世界を変えるため”に他人を変えることは多分できないと思う。

自分が思い描く世界に合わせて周りに代わってほしいと思うのはありがちだけれど、きっとそれでは叶うことはなくて

結局思い描く世界は自分自身でしか作れない。

なんでリストラからこんな話になったんだろう。
ただ、悔しいとか悲しいとか虚しいとかネガティブな感情には人それぞれに違う理由があって、嬉しいとか気持ちいいとかポジティブと言われる感情は個人別の理由よりも共通意識が作用していることが多いと昔読んだことがあるんだけれど

*否定的な感情は価値観と体験でかわる。
天気がいいから気持ちいい には特に理由はいらないけど
天気がいいのに気分が悪いというのは、なにかその人なりの理由がある
みたいな?

自己嫌悪・自己否定という感情から自分を救うのって他の誰でもなく自分自身。一瞬ごまかすことはできても、溶けていない負の感情を消すことなんて他の誰にもできない。(きっかけを作るくらい)

自分のことを好きにれないのは、人から認められていないからじゃなく自分が認めている他人と比較しているからで
比較対象を変えれば意外と簡単に解決する。

それはたぶん過去の自分なんだろう。

そして今日も自分に問う。
「過去の自分と今日の自分、どちらが好きですか?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?