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短編 『 緋 』

(約1,100字)


「おっと、なんだ、夕立かな」

 押し黙った2人の空間を、マスターのジンちゃんは明るい声で割って入った。
 エイトの目の前にあるコップは、新しく注いだ水をコースターの上に音を立てずに置かれる。

 「悪いけど、洗濯物を避難させるから、何かあったら、呼んでもらえる?」
 ジンちゃんは階段の方を親指で示して、エイトにウインクしてから軽く頷く素振りをみせた。

ーじゃ、ジンちゃん、此処に置いとくから。
 老婦人が席を立ちながら、会釈しながら会計の小銭をカウンターの内側の物入れに入れた。

 カランと喫茶店入り口の金の音が鳴ると同時に、外気が扉の隙間から滑りこんでくる。

ーあの、私が言い掛けるのと同時だった。

「助けられたんだ。半年前、ー」

 エイトが重い口を開くと、
私は固唾を飲んで、ロングスカートの膝の辺りの一部を緊張とともに両手で手繰り寄せるように掴んでいた。

 「二つ上の友達、『蓮』っていうんだけどさ。半年前の5月の新緑の頃に、ツーリングで県境を走ってたんだ」

 エイトが説明する視線を外した横顔は、私の知っている人によく似ている。
 喫茶店の柔らかなぼんやりとした灯りに、ボタンの碧色は淡く光る。

 うん、と聞こえるか聞こえないかの音量で、私は話を邪魔しないよう相槌を打った。

 「僕がカーブを曲がり切れなくて、バイクはバランスを崩したんだ。二台とも車体ごと倒れて、連れの友達のバイクの下敷きになった」

 「ハチ‥さんが?」

 エイトは私を見て、また目を伏せて続けた。

 「その日、就職の面接があったんだ。時間は夕方からだったから、ツーリングは午前中だけで、県境のスポットで引き返してくれば充分な時間はあった。そんな交通事故に遭うなんてー」

 私は喉の渇きを感じたが、悠長にコップに手を出す余裕などなかった。

 「スーツを着てたんだ。バカでしょ、そんな大切な日に。2次面接で、どうしても通過したい日だったんだ。転んだときに、身体はなんともなかったけど、背広に路面の叩きつけられた跡が派手について、ボタンが片方飛んじゃって‥‥最悪だった」

 エイトは、水滴がついたコップの端を拭ってから、新たに用意された水を一息で胃まで流しこむ。

 「事故に居合わせた車がバイクを避けながら停まって、2人組の男女が介抱しに車から降りてきたんだ。一人は、鮮やかな赤色のワンピースの女の人ー」

ーその女性にボタンをつけてもらったんだー

 エイトは、私が知りたい核心に触れた。

 「その女の人は知らなかったけど、男の人は、一年前に行方が分からなくなった兄さんだったんだ」

 赤色のワンピース‥‥その女性は、きっと彼をよく知っている。


 ーお兄さんー
 彼は兄弟は居ないと言ってた。

 でも。

 ずっと探していた彼は、生きてたんだ。

 止みそうにない雨は、夕立から電灯とともに優しくあたりを照らす冷たい小雨に変わっていた。


                 続く



         ※フィクションです 



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