短編 : 『思い出たち』
トト子は僕のことが嫌い
ブン太だって、きっとそうだ
トト子はこの1ヶ月で、僕のことを理解してきたようだ
ようやく苺ジャムつきのトーストを今朝、食べることができた
ほとんど空のランドセルは、誰にも文句を言われず、カラカラと音が鳴る響きを保っていた
「おはよー」
カネヨが挨拶した
僕は うん と小声で答えた
「お、頭、跳ねてんなぁ、ふぅちゃん」
頭の後ろをその男はわしわしと下品に撫でた
この男がブン太だ
クラス担任で大男ー靴のサイズが29センチもある
学生時代にラグビーで何かの大会で表彰されたことが唯一の自慢らしい
身体ばかり成長して、頭の中にデリカシーという言葉がない
僕は 吹田 航
みんなは「ふうちゃん」と呼ぶ
空のランドセルからはコクヨのノート2冊とブリキのペンケースを取り出す
教科書や辞書やタブレットは、僕のランドセルには入っていない
「ふうちゃん、アタシの教科書、見せてあげるよ」
左隣りの茅(かや)ちゃんは、三つ編みを耳の横にしている元気な子だ
「ブンちゃんせんせー、今日もふうちゃんと一緒に教科書を読みまぁす」
茅ちゃんは手を耳の横にくっつけ挙手しながら、二学期が始まってからずっと、授業前の合言葉を宣言していた
「おぅ、ケンカしないでやってくれよ。
吹田、気になることがあったら言えよ。辞書は明日、図書室から借りてくるからな」
ブン太が片方の鼻を擦りながら教科書をパタパタさせると、僕は無性に面白くなくて、ブン太から視線を外した
はい、と少し遠慮がちに、茅ちゃんは僕の机の3センチを教科書で占拠した
僕は、教科書も、ランドセルも、辞書も、鉛筆も、消しゴムも、みんな持っていなかった
二学期が始まる三日前、すべて無くなってしまった
勉強で表紙のめくれ上がった汚れたノートも、大切に集めていた文房具入れのキャラクターシールも、気に入って読んでいた恐竜図鑑も、ぜんぶー
ー全部、火の中にのみ込まれた
秋の文芸祭が迫っていた
学校では、おのおのに生徒たちが夏休みに作った制作物を展示するのが慣わしだった
僕だけは誰からも、作った展示作品については触れられなかった
家が丸ごと焼けちゃったからだった
カラスの声を背中に聞きながら、僕はトト子のいる家に帰った
「航ちゃん、晩ご飯はハンバーグでいい?」
トト子はいつも僕の機嫌を伺うような目線を送ってくる
「うん、なんでもいい」
僕はいつもの返事をした
トト子は、父さんの幼馴染だったらしい
火事で無くなったのは、人間もだった
ー母さん、父さん、弟、妹、爺ちゃんー
「これ、真作さんが作ったらしいのよ、また秋の文芸祭があるでしょう」
僕の手に乗せたそれらは、紙でできた指人形だった
牛、馬、猿、犬、辰
龍は下手っぴだった
「これだけ、何だか分かんないや」
その五つは、僕ら家族の干支の生き物だった
その日、母さんの代わりをしようと必死な人の胸で、人生で初めて声をあげて泣いた
(1,199字)
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