悲しいけど泣いてはいない
(約1,400字)
noteで企画の文学賞があると応募してみようと思い始めたのは、いつからだったろう。
noteの住人になって初めてコメントが楽しくなったのは、いつからだったろう。
10月の始め、まだフォロワーの数が200名くらいだった。
その頃、リアルで心が揺らぐことが多くて、
noteの記事を書くのがシンドくて辛い時期でした。
あるクリエイターさんが「書くこと」の熱に
火をつけてくださって、フォロワーが少なきゃ読む人が増えるわけはないと一念発起した。
X(旧ツイッター)は、やっていない。
昔、おかしな輩に絡まれて、そちらに興味がなくなった。テレビで放送される報道でも、そういう類の人間が問題を起こし、社会問題が後を断たないのは理解した。
他のSNSから読み手を増やすことは、noteの集客としては近道とは分かるが、自分を守るにはXはリスクが高すぎる。
(集客できないこともあるそうです)
精神を病む人に、Xを利用する人が多いのも当たり前に思う。
ならやらなきゃいいのに‥‥と思うが、一度足を踏み込むと辞められないドラッグみたいですね。
それで傷ついて人に噛み付いてりゃ世話ないわ、って思う。
健康を害して、noteをやって、働かないでいて、noteで経済的利益を生まなきゃ、将来どうするんだろう。
病気を認定された障害者が、狭い視野を作るなんて思わない。
文豪と呼ばれていた人は、名を成している人、いない人、みなご自身が精神を病んでいたり、パートナーや血の繋がった者が疾患を持っていた。
私は自分が情緒不安定に陥ったのは、間違いなくnoteがあったから。
でも、自分が「書くこと」を毎日、楽しく思い執筆できるのも、勉強できるのも、noteと出会えたからだった。
最初にフォローしてくださった方からフォローを外され、私も外した。
「お母さん、今やってる20文字小説の投稿を嫌ってる人がいて、私、そのフォロワーさんからフォローを外されるかもしれない」
と実家で家族とご飯を食べていたとき、母に話した。
「じゃあ、その短い小説、書かなくていいの」
母は文章は上手いが、書くことはしない。
「いや、小説は書きたい。でも、フォローを外されるのは嫌だ。他の人からフォローを外されても平気だけど、その人からはフォローを外されたくない」
正直、コメントが楽しいと思ったのも、そのフォロワーさんがコメントをくれていたからだった。
だから、コメントを書けなくなった今も、そのクリエイターさんにコメント出来ないのが悔しくて仕方がない。
私は企画の小説を書くことを選んだ。
別に、賞金が欲しくて書き始めた小説じゃない。
なんで、この20文字がスキを集めているんだろう、って内容もある。
私は人間を失った方が、悲しい。
書くことが目的だから、あと数日間は
20文字小説を書く。
お金じゃない。
箔がついても(名誉を得られたとしても)、
大事なモノを失った代償は大きい。
私よりスキが山ほど付いた作品は沢山ある。選ばれるわけがない。
私はただ絆を失っただけだったのか。
いや、この短い小説で私の存在を知ってくださった方がいるかもしれない。
おかげさまでフォローが2倍に増えた。
無駄じゃない。
大丈夫、腐らない。
無理じゃない。
大丈夫、悲しくない。
大丈夫、大丈夫。
自分を誤魔化しながら、生きていく。
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