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AIは🤖クリエイターにとって有益ですか?

            ( 約1,000字 )
鉄腕アトムを描いた作品は、1952年〜1968年に発信されていました。

アトムが生まれて描かれた頃には、私はまだ影も形もなかったが、手塚治虫先生の作品は誰もが絶賛するように好きな作品が多いです。

多い、と言ったのは、まだ触れていない作品があるから。

「リボンの騎士」には衝撃を受けて、天国と地獄を意識したのは、この漫画が最初だった。

手塚治虫さんはたくさんの漫画家の希望の人でした。
古きよき時代に、まだ漫画のなんたるかも定まらない社会に、学校では教えない学問の教材として家庭に浸透していった。
ココロを知るには、うってつけの本だった。

考えること。
悩むこと。
知ること。
ひらめくこと。
学ぶこと。

色々な楽しみを教えてくださった。

最近になって、人工知能(AI)の機能性について、よく見聞きするようになった。
ハッキリ言って、私には謎でしかない。

どう取り扱っていいか、分からない。
それに踏み込んで、noteの記事に反映させるのがいいのか、否か‥‥‥

他のnoterさんが、どう取り組んでいるのか
よく分からないが、私はAIを盛んに取り入れている記事にスキを付けるのを迷っている。
というか、つけられない。

私が使っている携帯電話は、アプリをインストールすれば、そういう簡単作業を一瞬で私が作れない世界を表現する機能を使えてしまう。

パスワードだけで、絵を描いてくれる。
適切な文章を、作ってくれる。

この偽りの文章を、私のオリジナルです、と言っても、通用するのだろうか。

コピペは、他人が考えた言葉だが、私はフリマアプリでも使ったことがない。
クリエイティブな文章ではないのだから、貼り付ければ時間短縮にはなる。
でも、出来ない。

文字を打ち込むのも、手書きではないのだから、本当に本人のモノかなんて分からないのに。

寂しく感じるのだと思う。

誰かが作った言葉を、あたかも自分から発信しました、と言うのが。

バザーに提供する品物を、買ってきたもので
間に合わせる(提出する)みたいな行動が、
AIで作った文章のように感じる。

どこまでAIがクリエイトしてくれるのかは、いまは分からない。

私はネタに困ることがないから、ネタの提供も必要ない。

この記事が批判的に捉えられても、当たり前の世の中に思う。
人工知能(AI)を作るには、ヒトを知らないと駄目なのだという。

人間に近い能力を、クリエイティブな作品に使われてしまったら、本当のクリエイターはロボットではないのだろうか。

※私はAIではありません。
と注記する必要が出てくるのでしょうか。



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