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エッセイを書いただけの時間

           (約600字)

しっとりと冷たい板の間で横になっていて、
2時間ほど経っただろうか、だるいけど首を
グッと持ち上げると、水を悠々と進む鯉が泳いでいるのが見える。

父と母は、私が池の前の縁側で何時間寝そべっていようが、何も言わない。

私がそこに居るのが快適で、何処よりも安全で心静かに寛げるのかを知っているからだ。

先月に購入した心理学の本を携えて縁側に来たものの、目次しか目を通さず、ガラス越しの景色をiPhoneに収めたり、音楽を聴いたり、ハナウタを歌ったり、メールを確認したり、うたた寝してみたり‥‥ようするに暇な時間を過ごすためにじっとしている。

午前中は少しだけ家の仕事をして、料理と手抜きの掃除をして、雨が上がったことに嬉しくなり、母に最近、書いた小説を朗読した。

母は笑ってくれた。

満ち足りた時間に、朝から咳は一度しか出ていない。

16時には太陽は姿を隠し、過ごしやすい秋らしい温度を保ったまま、日が暮れるところだ。

時々、遠くで旅客機が上空を通り過ぎる音が聞こえる。

騒がしい喧騒も、noteで書かれる嫌な言葉も、近所でおきるいざこざも、遠い昔の出来事みたいに、夏の蜩の声を聴くのと変わらない優しさみたいな気持ちで寛容に受け止められる。

実際は、またそれらに触れてしまえば、心臓部を握らせたような痛みが走るのだけれども。

noteの記事は、夜に読みます。

もう少し、秋の静かな時間を楽しんでいたいのです。


縁側に寝転がって撮る
同じく寝転んだまま見える木々

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