見出し画像

分かるのに理解できないこと(好きの理由と悲しみ)


 (約1,200字)


たとえばね、

誰かを好きになったときに、

その理由が明白で、

「自分には無いものを持っている」とか、

「自分と似ているからその思考を理解できて、きっと分かり合えるだろう」とか、

「見た目が好ましいから、ずっと側で見ていたい」とか、

「自分より優れている個体だから、その能力を私の領域(テリトリー)に置きたい」とか、

多くの人が利点を想像する。

プライドをかなぐり捨ててでも、自分自身を捧げられるから、好きな存在に認めてもらいたいという考えが芽生える。


人は「好き」という一方的な気持ちが、それだけにとどまらないことを理解している。

片思いをしたら、両思いに。

好きな対象(相手)を大切にしたい。

なんなら、辛い気持ちを聞いてあげたい。

困っていることを取り除いてあげたい。


自分の片想いが、自分自身のことから、好きな相手の領域にまで思考が及ぶことに気付く。

人間の行動(言動)は生活に気持ちが反映されていて、好きな人には間口を広げておく。

だから、自分の領域に入らせたくない人は近づけない。

SNSの繋がりで言えば、ブロック。
嫌いな人に対しては、それを使わずには自分の領域を守ることができない。


私は自分の立ち位置を理解している。

この人は利己主義だから、ただ利用したいだけだろう。
自分の感覚は優れているのに認めてくれないなら、高評価は差し上げません。
自分の存在は示すけれど、レスポンスは要りません。

noteの世界にいると、多分に人間関係に対して文章で押しはかる感覚を養っていくと思う。

私は「読みたい記事を書く人」であったとしても、他者を受け入れることが出来る人、という認識はされていない。

それでなければ、ビュー数が異常に増えるわけがない。スキが量産できないのに、書いてる意味も最近はよく分からなくなってきた。

読んでも「スキ」を付けたくない人物なんだろうと推測する。


お金に換算出来ないモノに価値があることを分かっているのに、生産性を見出せないのは、心の自由と物質的な自由がイコールでないことの証明が出来ていることによる。


話は変わって、世界平和のこと。

オリンピックは4年に1回の世界的に優れたアスリートだと認められるスポーツの祭典。


ある国では紛争が絶えず、国家間でなくとも、個人でも争いが絶えないのが、この世界。

相手を理解しないまま、攻撃を続ける最高にくだらない世界。

自分は、悪くありません。
あの人の存在が、私を醜くさせました。
私はこんなに譲歩しているのに、どうして理解されないのでしょう。
弱い立場なんだから、もっと優しくしてほしい。

「弱い」を掲げながら権威性をみせるアカウントが、何より疎ましい。


世界は地球規模で助け合わなければいけない
この時代に、個人間の争いに注視されている。

個人攻撃のストレス発散でヒトを蹴りつけているから、世界が優しい気持ちで満たされないんじゃないのだろうか。

笑顔で、アスリート達が最高のパフォーマンスをしてくれることを願っている。


一個人の「好き」は、誰かの命を守るかもしれない。



白米足りず、炊き込みご飯のレンチンも一緒に。
名も知らぬ花




ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?